第5章のタイトル「『健康』には振り回されず、『死』には妙にあらがわず、医療は限定利用を心がける」が、この本で著者が言いたいことだろう。

 たくさんの提言の中に「その通り」と共感できる記述も多い。例えば「年寄りはどこか具合が悪いのが正常」「〝年のせい″と割り切った方が楽」「本人が治せないものを、他人である医者に治せるはずがない」「死ぬのはがんに限る」などなど。

 また「本書の中では、『認知症』という言葉は使わず、〝ぼけ″とか〝頭が不自由″と表現しています。〝患者さま″という言葉と同じくらい、どうも好きになれない」という著者の言葉にも共感した。

 最近、「患者さま」と歯の浮いたような呼び方をしている病院が多いけど(その実、ドクハラまがいも横行している=参照=)、「消費者は神様」みたいで、以前から私(ピカテン)は違和感を抱いていた。認知症という呼び名にも首をかしげていた。もっとも〝頭が不自由″はちょっと・・・抵抗がある。ハゲを「頭髪が不自由」と表現するのと同じで、な~んか逆にバカにされてるかんじがしないでもない。ボケはボケ、ハゲはハゲのままでよろしい。

「(自覚症状がまったくなかった70歳前後の)有名人が、よせばいいのに、人間ドッグを受けてがんが見つかり、目一杯の闘いを挑んだ末、見事に玉砕し、果てています。人間ドッグなど受けなければ、まだ一線で活躍していただろうにと思うと、残念のひとことに尽きます」

「救急車で病院へ運ばれたりすると、死ぬのを引き延ばされて、その間〝地獄の責苦″を味わうことになる。『症状が急変した時の対応に不安』に関しては、大丈夫です。あとは死ぬだけですから。多少、死期が早まるだけの話です」。ふ~む、ナルホド。と一応納得する一方で、家族が死にかけても救急車を呼ばない選択をするのは、無理とも思う。

 死ぬ間際には、外見的には苦痛に満ちた表情をしていても、脳内モルヒネ様物質が出て、本人は恍惚状態になる―という保証?もあって、それほど遠くない未来に、あの世に行くことが確実な「死刑囚」(人はみな再審のかなわぬ死刑確定者)にとっては、明るい終末を迎えられそう・・・(だったらいいな)。

  冒頭に「日本人の医療に対する思い込み」の例として、「入院するなら大病院、大学病院の方が安心できる」「マスコミに登場する医者は名医だ」などが挙げられている。私の実感からも、これらは一般人の「思い込み」でしかない。医者に限らず、マスコミによく顔を出す専門家は、その分野では二流どころが多いような印象がある。