詩人でもある著者の、詩のような、心象風景のような、独白体のような書き出しに、詩歌を解さない私=ピカテンは、どう受けとめたらいいのか戸惑った。最初の数ページで投げ出しそうになったが、なんとなくひっかかる。引きつけられるものがある。で、読み進めると、だんだん事情がよめてくる。

 声の主は「きーちゃん」。園の入所者。上下肢とも動かず、見えない、しゃべれない、表情もない、単なる『肉塊』のような存在だが、自由に「思う」ことはできる。(この設定は、映画「ジョニーは戦場に行った」が思い出される)

 語る内容は自分のこと、園のこと、園職員の「さとくん」のこと。「さとくん」は、真面目で明朗快活な凡人。「きーちゃん」ら入所者のお世話を通して、「人間とは何か」を思い続け、次第に「社会に尽くす」ことを、自分の使命と考えるようになる。

「無用者は、どうにもならない貧困者や虚弱体質者、発狂者どうように、それじたいが罪だ。むしろ減ってくれたほうがいい」「あからさまなことは、胸をかすめても、ぜったいにいわないことになっている。社会はみな黙ってしめしあわせている」「だれでもにんげんらしく生きる権利があるって・・・でも‟にんげんらしい”って、なんですかね?」「善人面して、金のためならなんでもやる業界。施設。きれいごとですませるアホNHK、クソ朝日・・・」「ぼくはひとりで悩み、ひとりでかんがえたんだ。じぶんは共産党なんかじゃない。ブサヨはきらいだ。ひとりではなにもやれない偽善者ども」「ぼくはたったひとりでやる。たったひとりの救国戦士だ。こころあるひとびとのおもいをせおう。日の丸を胸に!」。

 さとくんは「美しい日本」の実現のために、鼻歌を歌いながら、使命を果たす。

 ロッカバイ ロッカバイ

 バイバイ ロッカバイ

 バイバイ ベイビー

 表紙に「実際の障がい者殺傷事件に着想した」小説とある。誰でも相模原障害者施設での大量殺人(マスマーダー)を思い浮かべるだろう。「さとくん」とは、ニッポン社会そのもので私自身でもある————のだろうけど、そんな簡明な答えにとどまらない、重たくも深い問いかけがあるように感ずる。

 私=ピカテンの脳裏には、大江健三郎の「セブンティーン」も、思い浮かんだ。