わがミニ植物昆虫館

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 わが部屋の一角に設けた、植物と昆虫(キアゲハのみ)コーナー。

 左端のアボカドの木は、種子から育て、ふた冬めを迎えた。昨冬を越し、今年の春はすごい勢いで成長し、このままでは部屋の天井を突き破りかねないと、片端から新芽を摘み取った結果、今のところこんな格好でおさまっている。

 秋にバラの枝を3本、挿し木してみたら、最近になって新しい葉を出した。うまくすると花を咲かせるかもしれない。楽しみ。バラの切り花(1本百円)を買ってきて、花が散ったあとの枝を鉢に差しておいた。昨年も挿し木で花咲いたが、越冬に失敗した。今回こそ、来春に外の庭に移植できるといいのだが(柱にキアゲハの蛹がついている)。

 網の内外ではキアゲハの蛹が冬眠中。数えてみると13頭。他に網から脱走したヤツが、天井に2頭、壁にも2頭、窓枠に1頭、隣の部屋の天井に1頭。さて、来春は何頭蝶になるのだろう。昨年と今年の経験からすると、ほとんど羽化するだろう。

 網から脱走して鉛筆にとりついたキアゲハ蛹。ただし羽化した後の蛹の殻。

蝶々痴人

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 またまた蝶(幼虫)の室内飼育なんぞという、小学生の自由研究みたいな、しょーもないことをやっている。カミさんが嘲笑って「『マダム・バタフライ』ならぬ『じじバタフライ』」ですと! 蝶々爺、あるいは蝶々痴人か・・・

 春に8頭ほどのキアゲハを羽化させ庭に放った。そのうちの何頭かがときどきわが庭に戻ってきていた(足環をつけて放蝶したわけじゃないから、「わが家のキアゲハ」かどうかは定かじゃないが)。それがわがミツバ畑で産卵したものらしい。

 先月下旬に、大きさの違う20頭ほどの幼虫を確認した。そのうちの10頭ほどを室内の飼育小屋に移した。飼育小屋ったって、ありあわせの細木を組み合わせ、庭木用のネット2枚をクリップで止めたいいかげんなつくり。網の中だけでなく、いつの間にか脱走して、わが部屋の壁や天井の片隅で蛹になっていたりする。

 そのうちの1頭が2日前に羽化、その日のうちに外に放した。

 飼育網の内外に蛹になったのが5頭、これからも次々と蝶に変身するだろう。飼育網内にはまだ4頭の幼虫がいる。いずれも食欲旺盛で、鉢植えのミツバを入れ替えても、次の日にはすっかり食いつくされて坊主になってしまう。

「年長さん」は体長7~8センチ。蛹になる場所を求めて、泡喰ったようにせわしなく動き回るので、蛹化の時期が間近に迫ったことが分かる。グロテスクな芋虫の類だが、見慣れてくると、なんとなくカワイイ。

 同居する末娘の名前をもらって、幼虫どもに「〇〇1号」「〇〇2号」(〇〇は娘の名前)と名付けようとしたら、娘から「イヤだ。ヤメテ」と拒否されてしまった。娘は大の虫嫌い。嫌いを通り越して「怖い」のだ。

  そういえば、今の人たち、特に女の子たちには昆虫嫌いが多いようだ。先日、札幌市の地下鉄構内などで大型蛾のクスサンが大発生した。若い女性たちが気味悪そうに避けて通るのがニュースになっていた。蛾も蝶も基本的には同じなんだけどねえ・・・まあ、あれだけデカイ蛾に顔近くを飛ばれたら、ちょっとビビるのは仕方ないかも。

中村仁一著「大往生したけりゃ医療とかかわるな 『自然死』のすすめ」

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 第5章のタイトル「『健康』には振り回されず、『死』には妙にあらがわず、医療は限定利用を心がける」が、この本で著者が言いたいことだろう。

 たくさんの提言の中に「その通り」と共感できる記述も多い。例えば「年寄りはどこか具合が悪いのが正常」「〝年のせい″と割り切った方が楽」「本人が治せないものを、他人である医者に治せるはずがない」「死ぬのはがんに限る」などなど。

 また「本書の中では、『認知症』という言葉は使わず、〝ぼけ″とか〝頭が不自由″と表現しています。〝患者さま″という言葉と同じくらい、どうも好きになれない」という著者の言葉にも共感した。

 最近、「患者さま」と歯の浮いたような呼び方をしている病院が多いけど(その実、ドクハラまがいも横行している=参照=)、「消費者は神様」みたいで、以前から私(ピカテン)は違和感を抱いていた。認知症という呼び名にも首をかしげていた。もっとも〝頭が不自由″はちょっと・・・抵抗がある。ハゲを「頭髪が不自由」と表現するのと同じで、な~んか逆にバカにされてるかんじがしないでもない。ボケはボケ、ハゲはハゲのままでよろしい。

「(自覚症状がまったくなかった70歳前後の)有名人が、よせばいいのに、人間ドッグを受けてがんが見つかり、目一杯の闘いを挑んだ末、見事に玉砕し、果てています。人間ドッグなど受けなければ、まだ一線で活躍していただろうにと思うと、残念のひとことに尽きます」

「救急車で病院へ運ばれたりすると、死ぬのを引き延ばされて、その間〝地獄の責苦″を味わうことになる。『症状が急変した時の対応に不安』に関しては、大丈夫です。あとは死ぬだけですから。多少、死期が早まるだけの話です」。ふ~む、ナルホド。と一応納得する一方で、家族が死にかけても救急車を呼ばない選択をするのは、無理とも思う。

 死ぬ間際には、外見的には苦痛に満ちた表情をしていても、脳内モルヒネ様物質が出て、本人は恍惚状態になる―という保証?もあって、それほど遠くない未来に、あの世に行くことが確実な「死刑囚」(人はみな再審のかなわぬ死刑確定者)にとっては、明るい終末を迎えられそう・・・(だったらいいな)。

  冒頭に「日本人の医療に対する思い込み」の例として、「入院するなら大病院、大学病院の方が安心できる」「マスコミに登場する医者は名医だ」などが挙げられている。私の実感からも、これらは一般人の「思い込み」でしかない。医者に限らず、マスコミによく顔を出す専門家は、その分野では二流どころが多いような印象がある。

読書メモ 渡辺尚彦著「クスリを飲まずに、血圧を下げる方法 高血圧の名医が教える、クスリの安全な避け方」

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 降圧剤を飲むな、というクスリ断ちを勧める本かと勘違いして手に取ってみた。「高血圧は恐ろしい。だから自己判断で勝手にクスリをやめてはいけない」という、しごくまっとうな指南本だった。

 降圧剤以外にも血圧を下げる方法はある。著者の勧める生活習慣は

け けっしてタバコは吸いません

つ 強い血管をつくりましょう

あ 熱いお湯には入りません。寒い思いもいたしません

つ 常に気分をリラックス

を お酒はいつも控えめに

て 適度な塩分、たっぷり野菜

い いつでも歩いて出かけましょう

か 快眠、快便、腹八分目

ですと。これまた、まっとう至極な「血圧低下」語呂合わせ、ですけど・・・俗人にはそうは問屋が「おろさない」

 お お酒はいつも飲みすぎる

 ろ ろくでなしには実行不可能

 さ ささいなことでイライラ

 な なんにでも醤油をたっぷりぶっかけ

 い いつも不眠

な~んちゃって・・・

キアゲハ羽化

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窓の外が恋しい?

 蛹の抜け殻

 わが部屋の窓の桟で越冬したキアゲハの蛹が羽化した。

 昨秋に裏庭のミツバにいた幼虫を捕まえて、室内のミツバの鉢植えに移したら間もなく脱皮をくり返し、窓枠にしがみついて蛹になった。しばらくは毎日観察していたのだが、春になっても変化が見られず、最近は「もう死んだのだろう」と観察を怠っていた。

 今朝、窓ガラス付近でバタバタ羽音がすると思ったら、立派な成虫になっていた。羽化するところを連続写真で撮ろうと思っていたのに、見逃した。残念無念。

 窓を開けて、チューリップが満開でミツバも若芽を出している裏庭に放してやるつもり。

相も変わらぬチューリップ畑

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ろくに手入れもせずにほったらかしにしているから、チューリップだけがますます増えてしまった。

わが庭の桜も開花宣言

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今朝、10輪ほどが花開いていた。例年なら連休中に開花するから、10日間以上早い。

現代漫画10「園山俊二集」

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 この本は何度読んだことやら。現代漫画といったって、1969年刊、つまり半世紀以上も前に刊行されたもの。戦後日本漫画界の大御所を集めたシリーズ全15巻の1巻。私が持っているのは、古本屋で求めたこの1巻のみ。最近、たまたまテレビ・チャンネルをガチャガチャさせていたら、園山俊二の「国境の二人」を取り上げた番組に遭遇した。残念ながら番組全体は見ていない。

 園山俊二という漫画家には特別な思い入れがある。

 小中学生のころ、漫画家になりたいなあ、とぼんやり憧れていた時期があった。毎日小学生新聞に連載されていた、園山俊二の「がんばれゴンベ」を読んで以来の夢だった。「がんばれゴンベ」は、作者が早大在学中の1958年から亡くなる前年まで、35年間にわたって計9775回連載されたそうだ。私が読んだのは、最初の半年間~1年間分くらい。当時、小学3年生くらいだった。

 連載はそこでいったん完結したはずだった。作者の都合で連載を終了するとの挨拶と、お山に帰るゴンベが列車の窓から読者に向かって「さよなら」するシーンは、ずっと記憶に残っていた。それほど間を置かずに連載が再開されたことは後で知ったが、わが家では小学生新聞をとってくれなくなったので、その後のゴンベを読んだのは、ずっと後になってからだった。

 その後ずーっと経った1984年か1985年に、作者本人にお目にかかったことがある。私(ピカテン)が雑誌記者をしていたころで、作者はその雑誌に月1の連載をしていた。その連載が急に休載になった。作者の病気治療のためだった。編集部としてお見舞いに行くことになり、私は真っ先に手を挙げた。夕張メロンを手土産に、東京の病院に向かい、入院中の作者を見舞った。

 ベッドから起き上がった作者は、一見お元気そうだった。予想通りの、優しい柔和な表情で迎えてくれた。私が「小さいころから先生のファンでした。がんばれゴンベをいつも楽しみにしてました」というと、ちょっと照れくさそうにしていたのが印象に残った。シャイな人だった。

 園山俊二は1935年4月23日生まれ、1993年1月20日没。生きていれば今年で米寿、没後30年の節目に当たる。

 この本のあとがきと別刷りに園山自身と早大漫研の仲間だった東海林さだおが、それぞれに文章を寄せているが、ふたりとも自由な発想と天真爛漫さで、実に面白い。

 残念ながら、この本には「がんばれゴンベ」は収録されていない。で、手元にある別の「がんばれゴンベ」シリーズ3冊にも目を通す。 このところ、ちょっと小難しい本や医学関係の文章を読むことが続いていたので、もともと硬いアタマが、さらにこり固まっていた。園山俊二、東海林さだお、それにゴンベやギャートルズの柔軟にして強靭な思考(これぞレジリエンス!)で、少しはもみほぐされた感じがした。

春を感じる 第2弾

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 種子から育てた、アボカドが1年間でこんなにデカくなっちゃった。春の日差しを感じ取ったのか、このところめきめき大きくなっている。このまま育てば、年内に天井に達する。さて、どーしたもんか・・・

2022年3月11日

2022年12月22日

2023年3月28日

裏庭に春が来た

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今朝裏庭を見ると、たった1輪だけど、クロッカスが花開いていた。

今日、今春初めてセルフ洗車場を利用。さらに冬タイヤを夏物に交換した。

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