地吹雪と佐藤厚志著「荒地の家族」と震災12年と

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 ちょっと前のことになるが、先月26日、わが屯田・新琴似地区は、ときどき前が見えなくなるほどの地吹雪だった。返却期限をこの日に迎えていた本を返すため、吹雪が弱まる一瞬を見計らって片道1.5キロほど離れた図書館に歩いて出かけた。往きは大したことなかった吹雪が、還りには前方10メートルが真っ白になるほど強まっていた。

 オホーツク地方の田舎(今は遠軽町の一部になっている丸瀬布町金山)に住んでいた子供のころのことを思い出しながら吹雪の中を歩いた。小学校1年生のとき、畑の中の道路を歩いていて、目の前が何も見えなくなるほどの吹雪に遭遇したことがあった。

 今回は住宅街の中の道路だから、遭難の心配はなかった(自宅では娘たちが「おとーさん、遭難してないかい」と冗談を言ってたらしいけど)。ある程度の降雪と横殴りの風を予想して、頭からがっちり防寒着を着込んでいたから、寒くもなかった。はるか昔を思い出して、なんとなくうきうきした気分で吹雪の中を歩いた。

 歩いているうちに急に猛烈な尿意を催した。トシのせいで頻尿と尿洩れに悩まされるようになっている。やむなく途中のコンビニに飛び込んだ。トイレを借りて、ほっとして、そのまま何も買わないで店を出るのは申し訳ない。でも、必要な物が思い浮かばない。ふと目についたのが本売り場に並んでいた文藝春秋3月号。「芥川賞発表 受賞作2作全文掲載」の赤い文字。

 価格1300円はトイレ使用料としては高すぎるが、小説2冊分と考えれば安いだろう。と、例によってビンボー症まるだしの浅はかな計算をして購入した。帰って井戸川射子の「この世の喜びよ」を読んでみたが、数ページで放り出した。文学的というのか詩的いうのか定かでないが、文体が私にはなじめなかった。小説など無理して読むべきものでもない。

 しばらく放り出しておいた文藝春秋を、なんとなく開いてみたのは今月11日。もう1つの芥川賞受賞作、佐藤厚志の「荒地の家族」を一気に読み終えた。東日本大震災を経験した東北・亘理町に住む、10年後の家族を描いた小説だった。主人公の妻は震災2年後に病死、その後、再婚した相手にも去られる。災害の記憶が通奏低音となっている、現在の日常生活である。

 この日のテレビは、朝から震災12年のニュースばかりだった。少々あきあきしていたからあまりニュースは見なかった。「荒地の家族」が「震災小説」であることにも思いが及ばなかった。道新夕刊の土方正志氏の一文「仙台発 震災編集者走る 東日本大震災12年と文学」で、「ちょうどの日」に「ちょうどの小説」を読んでいたことをはじめて(あらためて?)認識した。連想能力の劣化と、尿洩れ頻尿、いずれもニューロンのつながりが著しく悪くなっている証拠だろう。

戦争と謀略と科学

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 少し前のことだが、NHKの「フランケンシュタインの誘惑」で、英国の天才数学者アラン・チューリングのことが取り上げられていた。

 チューリング(1912~1954)は、のちのコンピューターにつながる、情報処理の基礎的論文を書くなど、大きな業績を残した。第2次世界大戦中は暗号解読に従事し、当時は絶対解読できないとされていたナチスの暗号機エニグマの解読に成功した。

 エニグマの解読成功は、英国にとっては「極秘中の秘」。解読に成功したことをナチス側に知られないよう、ドイツのUボートの位置を掴んでいても攻撃を加えず、偵察機が来るのを待ち、偶然に発見したように偽装してから攻撃した。偵察機の飛来が遅れて逆にUボートから攻撃され、多数の英国兵がみすみす犠牲になったこともあったそうだ。

 エニグマ解読成功の事実は、戦後もUltra Secretに指定され秘密にされた。チューリングたちは、チャーチルから「金の卵を産んでも決して鳴かないガチョウたち」と呼ばれた。戦争に勝った英国は、エニグマ数千台をドイツから没収、それを解読不可能な暗号機と偽って、インドやケニアなどの旧植民地や関係国にばらまき、各国の動きを密かに傍受していた。

 さすが、スパイと謀略の本家である。

 戦後、数学界に復帰したチューリングは、暗号解読の件を一切口にせず、最近までその功績はまったく公になっていなかった。それどころか、彼は40歳のころ同性愛者として逮捕され、定期的に女性ホルモンを注射されるなどの「治療」を受けさせられていた。そして41歳にして謎の急死を遂げる。公式には青酸カリによる自殺とされたが、親族などは異を唱えていた。

 番組のタイトルは「強制終了」。な~んか意味深だねえ・・・

数量を感じる生まれながらの能力 「数の発明」その3

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 エヴェレット著「数の発明」によると、ヒトは生まれながらに、1~3程度の「小さな量を正確に区別する能力=きっちり感覚」と、4以上の「大きな量を大雑把に区別する能力=ざっくり感覚」が、具わっているのだそうだ。これは、まだ数を知らない幼児や猿などの動物を対象にした実験や、数を持たない民族の調査で明らかになっている。

 たしかに思い当たるフシがある。

 わが裏庭に小鳥たちが集まってくる。ちょこまかとよく動き回る小鳥たちの姿を、まだらボケのアタマでぼんやり眺めているのが好きだ。今日は何羽いるかな?と数えてみたりするのだが、10羽以上になると、動きが早くて正確には数えきれない。

 一瞬でその数が分かるのは、4、5羽くらいまでだろう。4羽までなら確実に分かる(気がする)。生来の「きっちり感覚」ではないだろうか。5羽もひと目で分かるような気がするのだが、アタマの中で一瞬のうちに「2+3」の計算をしているような気もする。7羽になるとあきらかにひと目では分からない。「3+4」の足し算をしている。9羽以上になると、いちいち1羽、2羽、3羽・・・と数えなければ数が定まらない。

 もっと大きな数ならどうだろう。15羽と10羽の2つの群れのどちらが多いかは、正確な数は分からなくとも、ひと目で判断できる。これはエヴェレットいうところの「ざっくり感覚」であろう。小さな量を判別する「きっちり感覚」と大きな量の違いを判別する「ざっくり感覚」は、確かに「数」の手助けを借りずとも、人には生まれながらに具わっているのかもしれない。数を発明する以前の人類は、この2つの感覚を働かせていたのであろう。

 わが庭で毎日のように見られるのは、スズメと黒ネクタイのシジュウカラ、ノーネクタイのコガラ。昨秋の終わりには赤い胸当てのヤマガラも姿を見せていた。

シジュウカラ

コガラ

ヤマガラ

 この4種類、どれも似たり寄ったりの大きさだが、なんとなくヒエラルヒーのようなものがある。シジュウカラが飛来すると、先に来ていたコガラは席を譲る。そのシジュカラもスズメによって追い出される。同じくらいの大きさなのにヤマガラはスズメが近づいても平気で、スズメの方が遠慮がちになる。

 遠目には体格差などないように見えるが、よ~く観察すると、アタマまたは顔の大きさが僅かに違うようだ。ヤマガラ、スズメ、シジュウカラ、コガラの順番になっているように思う。小鳥の世界も「デカイ面」がものを言うのだろうか?

 小鳥たちの行動を眺めつづけていると、そのうち彼らと会話ができるようになるかもしれん・・・な~んて、うろんな考えが浮かんできたりするのが老人脳というものでしょう。妄想を膨らませているうちに、紅茶に粉ミルクを入れるのを間違えて、粉ミルクの瓶に紅茶を入れてしまったらしい。気が付けば瓶の中の粉ミルクはどろどろ。

  テーブルの真向かいで、末娘が背中をククッと震わせながら、こらえきれない笑いをかみ殺している。彼女は以前、痴呆老人が多く入院する精神病院に勤めていたことがある。そこには、「自分は鳥としゃべることができる」と話す妄想老人がいたそうだ。

和漢洋折衷?日本の数字 「数の発明」その2

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 エヴェレット著「数の発明」の中に、「数」を持たない民族がいることが出ている。いにしえの日本はどーだったのだろう? そんな興味で、ウェブサイトをあちこち覗いてみた。ネット情報だからどこまで信用できるか、確信はないが、中国から漢字や漢数字が入ってくる前の日本で使われていた大和言葉(和語)には、10か多くても20までしか数がなかった、と推測されているようだ。

 1、2、3・・・9、10の和語の読み方は、「ひ(と)」「ふ(た)」「み」「よ」「い(つ)」「む」「なな」「や」「ここ(の)」「とを」。

 11以上の読み方は、11を「とをあまりひと」つ。転じて「とをまりひと」つ。以下、12は「とをまりふた」つ・・・19は「とをまりここの」つ・・・といった具合。20は「はた」、30「みそ」、40「よそ」・・・80「やそ」、90「ここのそ」。百は「もも」、千「ち」、万「よろず」。このあたりになると、実際に10000の数をかぞえているというより「いっぱい」とか無数といった程度のニュアンス。

 和語が今も生きているのは、日にちの呼び方。

 1日(ついたち) 2日(ふつか) 3日(みっか) 4日(よっか) 5日(いつか) 6日(むいか) 7日(なのか) 8日(ようか) 9日(ここのか) 10日(とおか)

 8日は、もともと「やか」と読んでいたのが、「やうか」に変化。1日は新たな月(moon)の始まりを意味する「月立ち(つきたち)」が、「ついたち」となったと考えられている。

 外国人は日本語の1日~10日の読み方を覚えるのに苦労するのだそうだ。

 中国語なら「一号(いーはお)」「二号(あーるはお)」「三号(さんはお)」・・・「十号(しーはお)」とそのまま中国語の数字で読む。英語も「〇番目」で表すだけ。しかもfirst second third のあとは数字にthをつけるだけだから、規則的だ。

 人数の「1人」と「2人」を教えるときは、「いちにん」「ににん」ではなく、和語の「ひとり」「ふたり」。3人以上は「さんにん」「よにん」「ごにん」「ろくにん」「ななにん(しちにん)」「はちにん」「くにん」「じゅうにん」。

「よにん」「ななにん」は、数字の部分は和語。4(し)は「死」に通じるからとか、7(しち)は「いち」と紛らわしいとかで、しばしば「よ(ん)」「なな」に読み変えられる。地下鉄駅の北24条駅は「にじゅうよじょう」駅。

 赤穂浪士の四十七士は「しじゅうしちし」であり「よんじゅうななし」とは読まない。坪井栄の「二十四の瞳」は「にじゅうしのひとみ」が正しい。でも一般用語としてなら「にじゅうよん」の瞳、もおかしくはないように思う。高野悦子の「二十歳の原点」は「はたち」と読むか「にじゅうさい」と読むか、2通りあるようだ。私=ピカテンの世代は「はたち」だろう。2通りも「ふたとおり」と「にとおり」どちらも可。

 料理なら「ひとさら」「ふたさら」。3皿は「みさら」と「さんさら」が入り混じるけど、どちらかというと今は「さんさら」が優勢。以降は「人」と同じ、4と7以外は漢語読み。1口、2口も「ひとくち」「ふたくち」「み(さん)くち」。それ以上はあまり耳になじまないけど、あえて言うなら「よんくち」「ごくち」・・だろう。

 紙なら「いちまい」「にまい」・・・と4と7以外は漢語読みのみ。「ひとまい」「ふたまい」とは読まない。車も「いち」台、「に」台・・・家なら「いっ」軒、「に」軒。たいがいのものは4と7を除いて漢語読み。

 0は、和語には存在しなかったようで、現在は漢語の零(れい)と英語のゼロが混在する。最近は「ゼロ」と読む傾向が強いようだが、1未満の小数点の始まりについてのみは、「れいてんナニガシ」と「れい」を死守している。「ぜろてんナニガシ」と呼ぶのはあまり耳にしない。

 小数点以下になると、がぜん「れい」と「ぜろ」が好き勝手に使われる。0.1030なら「れいてんいちぜろさんれい」「れいてんいちれいさんぜろ」「れいてんいちれいさんれい」「れいてんいちぜろさんぜろ」のどれでもアリ。ほとんど無意識のうちに和漢洋混交をやってのけているようだ。

 う~む、融通無碍というべきか、それとも行き当たりばったりのイイカゲン、と言ったらいいのか。初めて日本語を習う外国人にとっては、とっても難しいだろうことが、私にも想像できる。日本語は表意文字(漢字)と2つの表音文字(平仮名、カタカナ)で表す唯一無二の言語である。数字ひとつとっても、日本語畏るべし。恐るべし。こんがらかっていてオモロイ。

続・星野道夫著「イニュニック アラスカの原野を旅する」

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 トーテムポールについて、続きがあった。

「ふと、あるトーテムポールの前に来て、立ち尽くしてしまった。そのてっぺんから、トウヒの大木が天空に向かって伸びていたのだ。かつてハイダ族は、トーテムポールの上をくり抜いて死んだ人間を葬っていた。目の前に立つトーテムポールがそれだった。遠い昔、トーテムポールの上に落ちた幸運な種子が、人間の身体(からだ)の栄養を吸いながら根づき、長い年月の中で成長していったのだろう」

 人の身体(ボディー)も土にかえり、植物の栄養となり、その一部となり、動物に食われ、一部は肉となり、大半は排泄されて土になる。不増不減、エネルギー不滅、万物は循環する。その自然循環の輪の中に、直接参加する身体。なんと、シアワセな人だろう(参照)。

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 私は生前の星野さんに数度お会いしたことがある。アラスカの最北ポイントバローとブルックス山中の内陸エスキモーの村を訪ねる途中に、フェアバンクスに立ち寄った。当時、アラスカ大学の大学院に在籍していた私の大学の後輩から、星野さんを紹介されたのが最初だった。星野さんがアニマ賞を受賞した直後だったから、1987年ころのことだったと思う。

 その数年後、札幌で彼の大規模な写真展が開かれた際に再会した。北大の研究者として帰国していた後輩の家でアラスカ仲間のホームパーティーが開かれ、星野さんと一緒に招かれたこともある。

 彼とたいした会話を交わしたわけではなかったが、記憶に残っている言葉がある。そのころ、アラスカの沿岸でクジラが氷に閉じ込められ、米軍の艦船が出動して氷を砕いて海水面を明け、クジラを助け出したというニュースが「美談」のように報じられていた。

 星野さんはひと言、「残念ですね。シロクマたちの貴重な食べ物になったでしょうに」。けっして米艦の行動を称賛するものではなかった。私も賛同した。

 手元にある写真集「Alaska 風のような物語」、エッセイ集「アラスカ 光と風」「旅をする木」を読み返すと、彼の本業である自然写真はもちろん素晴らしいけれど、文章のうまさにも舌を巻く。

砂澤ビッキ展と星野道夫著「イニュニック」

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 道立近代美術館で1月22日まで開かれている、砂澤ビッキ展を見て来た。期待した以上に「ヨカッタ!」。面白かった。初めて見る作品も予想した以上に多かった。

 トーテムポールを思わせるような、鑿の痕もなまなましいモニュメント類が彼の代表作のように思われているが、生前のビッキが民芸品調の小物装飾品や玩具もつくっていたことは、以前の展覧会で目にしたことはあった。それにしても、これほど多彩な作風に取り組んでいたとは!

 そして展示品は、木彫にとどまらず、絵画や素描、墨書にまで及び、その数270点。その1点にカウントされている「裸婦千體」は1000枚のデッサンシリーズである。

 木彫り熊の流れを汲むであろう「EKASHI」シリーズも、民芸品とか土産物品の範疇を超えたアート作品になっていて、なかでも「熊狩りエカシ」はドラマチック。グワッシュによる抽象画「鳥葬」シリーズも深い青色が美しい。我流の墨書までもがいい味を出している。ビッキがアイヌ民族芸術家あるいは木彫家にとどまらないアーティストであったことが、この集大成的な展覧会から分かる。

 ビッキは「手で触れること」を、彫刻の大切な機能?役割?と考えていたことが、パネルで何度も紹介されていた。その横に「作品には手をふれるな」の主催者側の張り紙。アイロニーとしては、かなりキツイ。

 会場への往復に利用した地下鉄とバスの中で、星野道夫著「イニュイック」を読んでいた。たまたまインディアン・ハイダ族のトーテムポールの記述が出てきた。

 「南東アラスカの海を少し下ったカナダ側に、古いトーテムポールがそのまま残されている島」。「そこはクイーンシャーロットという島で、かつてハイダ族の村が点在していた」「しかし百年以上も前、この島で天然痘が流行(はや)り、人々は古い歴史をすべて残したまま村を捨てて移住した」

 「やがて、朽ちてゆくトーテムポールを、人類の貴重な遺産として博物館に保存しようとする動きが高まってきた。が、ハイダ族の人々は、その外からの圧力に強く抵抗してきたのだった。彼らは、祖先がつくりあげたトーテムポールを、自然の中で風化されるがままにしておきたいと考えたのである」

 ビッキが札幌芸術の森・野外美術館につくったモニュメント「四つの風」を「風化させて朽ちさせよ」と言い遺したのは、北米先住民との交流から生まれた思想なのだろう。

参考まで 砂澤ビッキ展は、65歳以上は入場無料です。

吉兆か?!

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 わが裏庭に、新年早々、ハヤブサが姿を現した。何年ぶりかの訪問。たぶん庭木に集まる小鳥を狙っているのだろう。

2022年さようなら、2023年よいお年を

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 まだ生きていました。まだ生きているようです。

 わが部屋の窓際ガーデニングのアボカドも、ほぼ1年でこんなに大きく育ちました。

 手前に見えるのは、バラの鉢に勝手に生えて来た、しょぼいコスモスの花。

 アボカドの鉢には、これまたしょぼくれたミントが勝手に育っている。土にミントの種が混じっていたのだろう。

 他に、ミツバの小鉢が3つ、これは裏庭のミツバ畑から、降雪前に株ごと鉢に移したもの。これもしょぼくれだが、なんとか若芽を出してきた。もう少し大きく育ったら、雑煮にでも入れて食ってやろうと思っているのだが・・・

  孤独な老人には、こんな植物でも、なんとなくカワイイ。半ボケ年寄りの、しょうもない独り言に、文句も言わずに付き合ってくれる。ニンゲンならこうはいかない。

中国のコロナ対策は間違っているのだろうか?

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国ごとのコロナ感染者、死者、感染者に対する死亡割合、10万人あたりの死者数

2022年12月15日現在(米国ホプキンス大学統計=抜粋)

国  感染確認数     死者数   死亡割合 死者数/10万人

Peru      4,376,905         217,704        5.0%     660.27

米国     99,526,290       1,085,224        1.1%     329.39

Brazil     35,696,918           691,178        1.9%   325.17

英国   24,281,515     213,508        0.9%     314.51

Poland         6,358,786         118,389        1.9%      312.81

Italy    24,709,404         182,419        0.7%     301.71

Argentina    9,766,975         130,041        1.3%   287.73

Colombia    6,317,010        141,881        2.2%     278.84

Ukraine       5,653,110           118,553        2.1%     271.08

ロシア      21,370,489           384,807       1.8%     263.68

Mexico         7,169,653          330,729        4.6%   258.80

Spain       13,632,635          116,422        0.9%      249.01

France     38,815,319          161,049        0.4%      246.82

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Sweden         2,640,369         21,234          0.8%      210.25

Germany      36,859,058       159,367          0.4%      191.65

南アフリカ    4,045,472       102,550          2.5%     172.91

Iran            7,560,247       144,658          1.9%      172.23

Switzerland 4,373,011           14,153          0.3%    163.53

Israel           4,741,232           11,920          0.3%    137.72

Finland        1,417,909            7,572        0.5%    136.66

Denmark      3,415,044            7,657        0.2%    131.18

Canada        4,469,719           48,599          1.1%    127.07

Turkey    16,919,638         101,203          0.6%    120.00

Norway         1,471,342         4,498           0.3%     82.97

Australia  10,870,758           16,492    0.2%      64.78

Iraq            2,464,375          25,366    1.0%         63.06

台湾           8,498,195       14,722    0.2%       61.81

韓国    27,925,572        31,174    0.1%       60.80

Philippines  4,050,866       64,921    1.6%         59.24

Indonesia     6,702,132   160,287       2.4%          58.60

Thailand      4,715,489        33,392    0.7%   47.84

New Zealand 2,026,277          2,258     0.1%          46.82

Vietnam      11,521,388       43,179     0.4%        44.36

日本          26,331,295      52,051    0.2%        41.15

India    44,676,470   530,658  1.2%       38.45

Singapore    2,183,605         1,708  0.1%        29.19

Egypt             515,645        24,800   4.8%          24.23

Pakistan      1,575,486          30,635    1.9%         13.87

Kenya           342,155           5,684    1.7%          10.57

Ethiopia        495,420           7,572    1.5%          6.59

中国           4,167,941        16,262    0.4%        1.15

10万人当たりの死者数が多い順に並べた(ただし死者10万人以下で人口の少ない国は除いた)。赤字は死者10万人以上の国。太字は米国、日本、中国。青字は北欧4カ国。

 テレビなんかで中国の新型コロナ対策がにぎやかに論じられている。どちらかというと否定的なニュアンスが強い(中国を取り上げるときは、いつもおんなじ調子のワンパターンだが)。ひどいのになると中国のコロナ政策は失敗、と断じていたり、失敗を期待しているかのようなのもある。あの10憶を超える人口と医療体制の貧弱な山村部を抱え、免疫獲得者が少ないと予想されるから、今後の感染拡大が心配されるが、現在までのところ「失敗」と言えるのだろうーか?

  中国よりも、すでに100万人を超える死者を出し、今でもその数を増している世界一の富裕国アメリカの方が、よっぽど異常に思えるのだが・・・。100万人といえば、第1次、第2次各大戦で死んだ米国軍兵士の数をはるかに上回り、100年前のパンデミック「スペイン風邪」の時よりも断然多い。感染者数に対する死者数も意外に高い。医療インフラもワクチン開発も治療薬開発も進んでいるはずなのに。

 北欧4ヵ国を比較してみたのは、スウェーデンが自然免疫獲得を期待して「放任政策」を取ったのに対し、隣国の3国は様々な感染対策を実施した。その差が実際の統計に現れているかどうか、を知りたかったから。やっぱり対策を取った方が良かったようにも、差はあんまりなかったようにもみえる。ど~もあんまりはっきりせん。

 どちらにしろ、以上はあくまで途中経過。コロナが完全終息した段階で、どの対策が良かったかが分かるのだろう。その時は死者数とともに経済的な影響も考慮されなければならない。こうした検討は、今の刹那的で付和雷同的なメディアには無理だから、専門家の研究に期待している。

ウクライナが意図的に発射した可能性は?

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 先日、森元首相が鈴木宗男議員のパーティーかなんかで、「ゼレンスキー・ウクライナ大統領は国民を危険に晒している。日本のマスコミはNATOの主張ばかりを垂れ流している」と、ニッポン・メディアを批判したことが、新聞に出ていた。とかく物議をかもす森さんの言動だが、この見方はかなりの程度に的を射ているのではないか、と私(ピテカン)は感じている。

 ロシアのウクライナ侵攻以来、NHKをはじめとしたテレビ、新聞は「ロシアが邪悪で、ウクライナ・NATOは正義」と単純な二元論で報道してきた(「蛇足」参照)。ロシアの主張はみなプロパガンダ、プーチンは気が違っている、病気でないか・・・・。さらにはロシア兵の士気は落ちている、ウクライナ軍が優勢、ロシアに避難した人はシベリア送りになっている、ロシア国民が母国から逃げ出している・・・・etc。一部は事実であるのかもしれないが、一部は英国などの謀略情報の匂いがする。少なくとも、欧米からの情報だけで、裏取りされたものはほとんどない。

 最近、ポーランド領内にミサイルが撃ち込まれ、死者が出た時も不思議なニュース報道だった。その時はバイデン米大統領が「ロシアが撃ち込んだとは考えづらい」といち早く火消しに及んだため、ロシア犯人説は急速にしぼんだ。それでもNHKのニュースは、外部の軍事専門家の口を通して①ロシアが意図的に狙った②ウクライナ領内の標的を狙ったロシアのミサイルが、誤ってポーランド領内に落ちた③ウクライナの迎撃ミサイルが誤ってポーランド側に落ちた―の3通りだけの可能性に言及していた。

 私は、ロシアの意図的可能性を上げながら、なぜウクライナの意図的可能性にまったく言及しないのかが理解できない。西側の支援が欲しいウクライナが、危機を自作自演した可能性だって排除できないはずだ。NATOの一員であるポーランドに、ロシア製ミサイルが撃ち込まれれば、NATOも黙ってはいられないはずだ―と考えるウクライナ側の人間が出てきてもおかしくない。ゼレンスキー大統領の演説を見ていると、NATOをこの戦争に巻き込もうとする意図が、見え隠れしているように感じる。少なくとも、西側のさらなる支援拡大を求めている。

 ウクライナ支援の武器供給ルートである、ポーランドの存在に、プーチン・ロシアがいら立って攻撃した可能性も否定はできないけれど、客観的に見て、今NATOを巻き込んで得するのはロシアではない。

 今、奥泉光と加藤陽子の対談「この国の戦争―太平洋戦争をどう読むか」を読み終えたところ。前の大戦では、軍が国家運営の中核に出てきて、国民の好戦的気分を煽った。その結果、国民の敵愾心、好戦意識が燃え上がり、当時の新聞も軍部に輪をかけて戦争気分を煽った。「鬼畜米英」の言葉を作ったのは、自由主義者とされていた東大教授の文学者だった。

 停戦などの妥協策を模索しようにも、過熱した「国民の好戦意識」を鎮めることができない、と受け止めていた者が軍上層部にもいたそうだ。

  人々は「わかりやすい1つの物語」を求め、そのストーリーから外れた事実には目をつぶってしまいがちだ。ロシア・ウクライナ戦争を報ずる、ニッポン・メディアもその轍を踏んでいるのではないか。一方の主張を鵜呑みにしない、という報道のイロハを忘れている。世界の事情は、ハリウッド映画ほど単細胞的ではない。

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