ここには、大学同期のKJと、先生であり兄貴分のKMさんがいる。
KJがここ数日間、缶詰で仕事の仕上げをしているので、彼が開放されて出てくる週末まで、俺は首都近辺でぶらぶらしながら待つことになる。
KMさん夫妻が部屋を提供してくれる、と言ってくれているけど、何日間も厄介になるのは気が重いので遠慮した。
貧乏旅行者が集まるジャグサ地区というところに安宿を確保した。
昨夜はエアコンの部屋がいっぱいで、扇風機だけの部屋だった。
暑くて七転八倒した。今夜からめでたくエアコン部屋に移動。 赤道直下はやっぱり暑い!インドやアフリカよりも暑い。
スマトラでは体調は絶好調だったけど、小型カメラを落としてショックが大きい。
ジャワに入った途端、ひどい下痢をした。
路上で食った、卵焼きもどきが悪かったか? ひどく油こかった。
今朝はもう回復したけど、少し用心している。
今回のインドネシアの主たる目的地は3箇所。
スマトラ北端のバンダアチェ。ここからアンダマン諸島に渡るルートの有無を確かめること。
次いで、ジャワ原人(原人という区分けはもう使われていないのかもしれない)の発掘されたソロ。
3箇所目が、数年前に、小型原人化石が発見されたフローレス島。
この小型原人はジャワ原人の島嶼化したものか、または別の原人の流れかは議論の最中。
ともかく3万年前ころまで生存していたというから、その時代はすでにアフリカを出発した現生人類がこの地に到達していた。
ヨーロッパではネアンデルタールが現生人類と同時代に生きていた。
数種の異なる人が生存していたなんて、不思議で面白い(なんて思うのは私だけでしょうか?)
バンダアチェは2004年の大地震津波で20万とも30万人とも言われる死者を出したところ。
完全復興はしていたが、あちこちにその記憶が保存されていた。
津波博物館で、津波の瞬間のビデオを見た。
地震発生直前から発生の瞬間、壊れた建物の下からの救助活動。
場面変わって、町の中で、人々が一斉に一方向に逃げ出す光景。
その直後、道路にくるぶしの深さくらいの黒い水が現れたと思ったら、次の瞬間には瓦礫や車を巻き込んだ濁流が道路を流れた。
川を流れる残骸の上に取り残された人々の群れ。泥だらけのわが幼子の骸を抱える父親。
いくつかの映像を編集したものだが、強烈な印象を残す。
このCDを手に入れることもできた。
アンダマン諸島には、こちらから渡ることはできないことがはっきりしたことも合わせ、アチェでの目的は100%以上達成した。
ジャングルトレッキングに参加して、野生のオランウータン親子にも出会うおまけもあった。
スマトラという島に、オランウータンはもちろん、トラや象、さらにアフリカでさえ希少種のサイが生き残っていることに、この島の奥深さを感じた。象、サイとも島嶼化して小型化している。
スマトラに時間を食ったので、フローレスまでたどりつけるかどうか危うくなってきた。
はじめは島と島のフェリーを除いて、陸路を行くつもりだったが、とても時間が足りない。
メダン-ジャカルタは飛行機を使った。
安売り航空券の期限は45日間、5月24日まで。このあとも飛行機を使わなければ、間に合いそうもない。
インドネシアは思った以上にでかい。