貧乏旅行者の日常食バナナ

コメントを残す

 インド・アンダマンでは、よくバナナを喰った。朝飯がわりに喰った。移動中は弁当がわりに喰った。辛いインド料理に、胃腸がへたってきたかな、と思ったときはバナナかビスケットに、お茶で済ませた。

 これにリンゴでもあれば十分。しかし、リンゴは、日本なら店頭に並べるのさえ躊躇しそうな、小さなヤツが1個20~40ルピーもする。これに対しバナナは1本1~3ルピー(1ルピーは約1円70銭)。

 「スィートバナナ」とか「モンキーバナナ」と呼ばれる、1本が一口大のバナナは、十数本も付いた1房が10ルピーくらい。甘くてうまい。

 宿のカミさんに「あんた、バナナ好きだねぇ。毎日じゃないの」とあきれられた。

 いや、ことさらバナナが特別に好きなわけじゃない。1ヵ月以上もインドにいると、辛いのが恐ろしくて何を喰って良いか分からなくなる。あれこれ思い悩んで注文し、余りの辛さに、3分の1も喰わずに逃げ出したこともある。

 バナナなら何も悩む必要がない。それに衛生的にも抜群だ。この暑さである。朝に作った料理でも、午後にはいたみが来る。アジア・アフリカの開発途上国に比べると、インドの食堂の衛生管理はしっかりしているように思うけど、それでも路上食堂などでは「ちょっと鮮度が落ちてる」と感じることがある。

 バナナなら黒ずんではくるけれど、これで腹をこわしたという話は聞いたことがない。あまりに痛みが激しければ、その部分だけ捨てればいいだけのこと。ほこりをかぶっていても、皮をむけば中実の衛生状態を心配する必要はまずない。

 安くて衛生的で、重たいけれど携帯には便利。すぐにエネルギー源となる。アジア、アフリカを行くわが貧乏旅行には欠かせない。

 インド2ヵ月間で何本のバナナを喰ったか? 記録していたわけではないが、百本は優に下るまい。2百本までは喰ってない、とは思うけど・・・

逆さ四つん這い全裸男と偽原人Pikathenthropus Crawlithus

1件のコメント

 南インドのチェンナイからバスで4時間ほどの町ティルパティで不思議な男とすれ違った。場所はヒンズー寺院のそばの交通量の多い表通り。時間は人通りの多い昼飯どき。

 やせこけた男が一糸まとわず、両手両脚を使って前方からやって来た。

 両手両脚で歩くと表現すると、ほとんどの人は四つんばいを想像するはずだが、この男はその逆、顔は天を仰ぎ、腹を上に向けていた。股間のイチモツを周囲の人々にあえて開陳するかのように(これをカニ歩きと称するらしい)。

 はいつくばって前進するのがcrawl(クロール)なら、この男は背泳ぎスタイル、つまりbackstroke。ただし進行方向は背泳ぎのように頭の方ではなく、足の方に進んでいた。

 一瞬のうちに行き交う車の陰になったから、なんのことやら分からないうちに通り過ぎてしまった。あとで思い起こすと、いくら「なんでもありのインド」でも相当に不思議な光景だった。気違いなのか、それとも何かの修行なのか? 

 インドは「Incredible India」をうたい文句にガイジン観光客を誘致しているが、文句なく「信じらんな~い」光景だった。

 二足歩行を始めたのを人類の誕生と考えると、ヒトは600~700万年前くらいまでさかのぼることができるらしい。二足歩行は長距離を移動するのに適した歩き方だから、長い距離を歩く必要がなくなった現代人には、そのメリットもなくなった。

「後ろ脚だけで歩くのは疲れたから、両手を前脚に戻して四つ脚で歩こうかな」と考える、新種のヒトが出現するころかもしれん。重たい身体を支えるには、やっぱり四つ脚の方が有利だ。陸に上がった動物が、自分の体重を持てあまして再び海に戻って鯨類になったように。(鯨が今のような巨体になったのは、海に戻った後だから、この説は多分まちがい)

 四足歩行に進化した人類は、私が勝手に名付けて「Crawlithus」(はいつくばるヒト)。よし、今後は偽原人「Pikathenthropus Crawlithus(ピカテントロプス・クローリタス)」を名乗ることにしよう。略して「ピカテン」・・・などと暑さにやられたアタマで妄想した。

 インドに着いて間もないころ、ビーチ・シューズをサンダル代わりにして街を歩いた。底の薄いシューズは、アスファルトの熱を直に伝えて、すぐ足の裏に水ぶくれができた。現地の人たちは裸足で歩いても平気なのに、我ながら情けない。彼らのかかとは靴底のように分厚く堅い。

 チェンナイで知り合い、フンドシ一丁になって一緒にウィスキーを飲んだ(私はさすがに躊躇して上半身裸になっただけだったが)ホテル学校教師のダース氏は、水ぶくれがあちこちにできた私の足を持ち上げ、足の裏を指先で押しながら「こんなに軟らかいんじゃ、しょうがないなあ・・・」と嘆いた。

 こんなやわな足では、「二本足で歩く」という、人間を人間たらしめている行為には、さっぱり役に立たぬ。やっぱり未来の人間は、四足歩行するしかしょーがない。

 フェリーのベッドがビニール製だからと不満を言い、バンブーハウスは蚊が入るから「いやだ」と逃げだし、新しいサンダルを はけば決まって靴ずれを起こす。「原人」を自称するには、ダース氏の言うとおり、あまりにもひ弱、やわである。

 そういや、あのダース氏、私の足の裏をなで回した、その手でチーズの皮をむいてくれた。う~ん、なんか相当に複雑な味がしたような・・・

ティルマラの帽子屋

2件のコメント

 ふだんインド人はあまり帽子をかぶらない。日差しをさえぎるのに十分な濃い黒髪の持ち主が多いように思う。

 南インドのヒンズーの大聖地ティルマラの寺院入り口前に、膨大な数の帽子を積み上げて売っている帽子屋が何軒も軒を並べていた。買う人がいるのかしらん?と見ていると、引きも切らず客が訪れ、帽子を求めていた。

 ティルマラ参拝者の多くが、男女とも髪の毛を刈り、頭を丸めて来る。この日のために急に髪を落としたことは一目瞭然である。私のような年季の入った坊主頭(ハゲ)と違って、髪をそった跡が青々としている。

 高地にあるティルマラは、チェンナイなどよりは涼しいとはいえ、日差しはチェンナイにも増して強烈である。この日差しをモロにくらっては、熱くてかなわない。脳みそまでが沸騰しそうになる。

 にわか坊主頭の善男善女たちも、これにはたまらず、男は帽子で、女はショールのようなもので頭を保護することになる。ふだん帽子を持っていない男たちは、ティルマラに来てはじめて帽子を買い求める。多くは野球帽だが、なんとなく似合わない。編み笠なんかなら、よく似合うだろうに。

 以前にも何度かこのブログに書いたが、直射日光の強烈な赤道付近の地域には、ハゲが少ない。この地帯では黒髪は単なる飾りではない。紫外線や熱線を遮る必需品なのだ。

 この点、日差しの弱い北欧などはハゲが多い。頭髪の多寡と肌の色は、きっと強い相関があるはずだ。北方の住民にとって、ハゲは生存や子孫を残す上で不利ではなかったのだろう(女にもてるか、もてないかは別にして)。

 インド人は、欧米人よりずっとハゲが少ないけれど、東南アジアやアフリカの国々に比べるとハゲの割合が多いような気もする。インド人はヨーロッパ圏とも共通するコーカソイド系とされているようだが、ハゲの存在もそのことの反映なのかも?

ベンガル湾を泳いで渡れ

コメントを残す

 アンダマンに着いた翌々日の3月28日、数週間後にはチェンナイに戻るべく、帰りのフェリーを予約しようと船会社のオフィスに出かけた。目論見ではアンダマンに3週間くらい滞在してインド本国に戻り、残る1ヵ月弱で南インドからスリランカに足をのばすつもりだった。

 ポートブレアからチェンナイに行く4月のフェリーは10日と22日出発の2便だけだった。

「4月のチケットはすでに売り切れました」

船会社のカウンターの前でエーッ!と絶句。「じゃ、5月のフェリーの日程は?」

アンダマン滞在許可は30日間、4月24日まで。でも15日間の延長が可能だ。

「5月のフェリー日程は4月にならないと決まりません」

 チェンナイで1週間もフェリーを待った上、ポートブレアでさらに無駄な時間を過ごすわけにはいかない。

 やむなく帰りは空路を利用することにした。来る前にインターネットで調べたら、片道5千ルピー(約8千円)ちょいの安売り航空券があったはずだ。

 ネットカフェに走り、帰り便を探索した。アンダマンのインターネットの速度は、恐ろしく遅い。おまけに始終停電する。どうしても思ったような安売り航空券にたどり着くことができなかった。

 あきらめて旅行代理店業も兼ねている、宿のおやじに頼んだ。おやじさんも必死にネット上を探し回った。出てくるのは片道1万7千ルピーとか1万5千ルピーといったものばかり。学校が長期休暇に入り、航空券は通常の2倍近くにハネ上がっていた。フェリーが満員なのもそのせいだ。

 さんざ手をわずらわせて、ようやく9千ルピー台の航空券が見つかった。すぐにATMから金を引き出し、おやじさんに渡す。

 よし、これで安心してアンダマン探索に出発できる――。ところが、これもダメだった。どうやらタッチの差で売り切れたらしい。

 おやじさんの悪戦苦闘が続く。「よし、あと600ルピー出せば、多分大丈夫だ」

 どんどん金額が予定をオーバーしていく。

 おやじさんは追加の金を受け取ると、宿の雑用を任せている爺さんを呼びつけた。何やら急いで紙に書き付けると、カネとともに爺さんに手渡し「すぐに銀行に行って、ディポズィットしてこい」と命じた。

 よく分からなかったのだが、どうやら航空券のオークションのような特別な仕組みらしい。

「結果は後日分かる。そのころ、俺のところに電話を寄こせ。多分今度こそ大丈夫だろう」

 少々狐につままれたような気分だったが、このおやじは信用の置ける人物だ。私はアンダマン探索に出発した。

 結果はおやじさんの言う通りだった。その後もすったもんだはあったけれど、滞在許可をオーバーすること2日後の早朝の便に乗ることができた。

 それにしてもアンダマンからインド本国に戻るのに、これほど難渋するとは予想外だった。困り果てている私に「ベンガル湾を泳いで渡れ」と“激励メール”を寄こした諸氏は、ベンガルの海より冷たい?

Album 2

2件のコメント

(写真をクリックすると拡大します)

狙い定めて。牛に群がる虫を食うサギの仲間(ニール島)

わが部屋で見つけた コウモリの死骸(ティルパティ)

簡易宿泊所。道路に面したウナギの寝床のようなロッジ。外界との境は鉄格子の扉があるだけ。ベッドに寝ているのが外から丸見え。1泊40ルピー=約65円(ティルパティ)

路上寝路上で寝ている人は珍しくない。日本のホームレスとは少し意味合いが異なるようだ。後方の黄色い三輪タクシーの運転手なんかも路上寝(チェンナイ)。

高級マンション。敷地はぐるり塀に囲まれ、入り口にはガードマンが立っていて、関係者以外はシャットアウト(チェンナイ)

ポートブレアのお祭り/caption]

[caption id="attachment_1840" align="aligncenter" width="500"]ヒンズーの大聖地ティルマラの参拝者

ヒンズー修験者。いろいろとポーズを取ってくれてサービス満点。あとで寄進させられた(ティルパティ)

地引網に集まった女性たち。インドの中高年女性は肉付きがいい(リトルアンダマン)。

バナナの葉は食器としても、ちょっとした敷物として重宝(ティルパティ)

ポスターが並ぶ街角の風景(ティルパティ)

“危険な男”は“無害な男”

コメントを残す

 ポートブレアのアバディーン・バザールにある安宿「A・ロッジ」には、出たり入ったりしながら都合10泊ほどした。

 このロッジを紹介してくれたのは、往きのフェリーで知り合ったアラブ系フランス娘のサブリーナだった。アンダマンが2度目の彼女は、前回もこの宿を利用した。

 一緒にロッジに行って、空き部屋の有無を尋ねた。宿の主人夫婦は彼女を覚えていた。夫婦は彼女と私を見比べて、けげんな表情でサブリーナに聞いた。

「2人でひと部屋か?」

「NO!」 彼女と私が瞬時に反応した。

 でも、その時以来、宿の主人夫婦には、サブリーナは私のガールフレンドということになった。からかいの意味も込めて。

 サブリーナは翌日早々に次の目的地に向かって出立したきり戻らなかった。

「あんたのガールフレンドは、行ったきり戻って来ないねぇ~」。宿のカミさんは、私の顔を見るたびにつぶやいた。

 中、北アンダマンの探索から戻って2、3日後のこと。ジャパニーズ(私のこと)の紹介だと言って、1人の若い女性(これまたフランス娘)が、部屋を求めてロッジを訪れた。北アンダマンのマヤブンダールでちょっとだけ情報を交換した娘さんだった。名前は聞かなかったから知らない。宿のおやじは「2人目のガールフレンド」と名付けた。

 島巡り最後のリトル・アンダマン島からポートブレアへの帰り、フェリーの食堂で1人のスイス人女性から声をかけられた。「見渡したところ、この食堂の客で外国人旅行者はあなただけだったので・・・」と。

 彼女はポートブレアに早朝着くと、その日の午後には他の島に旅立って行った。その長い待ち時間の間、「どこか荷物を預かってくれるところはないかしら?」と相談され、私は「A・ロッジ」に頼んでみることにした。宿の主人夫婦は快く彼女の願いをかなえてくれた。夫婦と彼女の会話から、カテリーナという名前であることを知った。

 宿のおやじが私をからかった。

「これで3人目(のガールフレンド)だ。おぬしはdangerous manだ」

 カテリーナには、アンダマンを去る前日にアバディーン・バザールの路上で偶然再会した。ボーイ・フレンドと一緒だった。ふたりと握手して別れた。

 先のふたりとは、その後出会うことはなかった。1年がかりでインドを旅すると言っていたサブリーナは、今もこの広い国のどこかをほっつき歩いていることだろう。

山羊を見よ。自分の運命に何を思いわずらう

コメントを残す

 北アンダマンのマヤブンダールから南アンダマンのポートブレアまで、9時間がかりでバスで移動した。途中の海峡をフェリーで2度渡った。

 山道に等しい1車線のガタピシ道路。バスはクーラーなんてあるわけないオンボロ。窓もドアも開け放しにして走る。こちらでは普通のことだ。

 大人でもこの暑さには閉口するのに、乳幼児を抱えた母親が前方の席にいる。時々、幼子のむずかる泣き声が聞こえてくる。ご苦労なことよなぁ・・・

 そのうち後方からも幼児の泣き声が聞こえてきた。はてな?うしろの席に子どもが乗っていたかしらん? ふり返ってみても子どもの姿は見当たらない。さては空耳か。でもまたしばらくすると、弱々しい幼児の泣き声がする。このところトシのせいで目も耳も悪くなった。音のする方向を感知する能力が衰えたわい。

 途中の休憩時間にこの謎が解けた。バスの後方と横っ腹のトランクに山羊が詰め込まれていたのだった。

 われわれ乗客だって窓からの風だけではたまらなく暑いのである。真っ暗な狭いトランク、しかも鉄の車体は焼けるように熱くなっている。

 山羊の持ち主も心配なのだろう。休憩の度にトランクの扉を薄めに開けて、山羊たちの様子を見る。開いた扉の隙間から山羊たちの尿がチョロチョロと流れ出た。

 合計で15頭ほどの山羊が、この過酷な長旅にもおとなしく耐えていた。時々メェーと、か弱い鳴き声をあげながら。

 インドに限らず途上国では、山羊はどこにでもいる。田舎はもちろん都会にもいて、放し飼いのまま道端の草をはみ、勝手にゴミ箱なんかをあさって生きている。紙でも残飯でも喰うから、体のいい掃除係の役目も果たしている。大きく育てばおいしいマトンも提供してくれる。人間にとっては本当に便利で役に立つ生き物だ。

 ポートブレアに着いた翌日、肉市場を通りかかったら、男から声をかけられた。昨日の山羊の持ち主だった。「ちょっと来な」と言うからついて行ったら、軒を並べた肉屋の1つに入った。彼はそこに勤めていた。大きな枝肉を台の上に載せて手際よく細切れにしていく。昨日の山羊たちは、彼が地方から買い付けてきたものだった。

 作業が一区切りついたところで「どーだい、茶でも」。近くのチャイ屋からチャイを1杯持ってくると、ご馳走してくれた。私は男の包丁さばきを眺めながらチャイをすする。

 目の前に、昨日の山羊の中の1頭(たぶん)が、引っ張られてきた。市場の屠(と)殺人が、なんの感慨もなさそうに、山羊の首にナイフを入れた。一声もなく倒れた山羊は、少しの間、脚をけいれんするように動かしていた。血が流れ出るのを待ってその屠殺人は、首のところから頭部を切り落とし、軒から吊したひもにその頭部だけをぶら下げた。首を切り落とされた山羊は、それでも後ろ脚を弱々しく跳ね上げていた。

 屠殺人は、四肢の膝関節から下を切り落とし、腹部の皮に切れ目を入れると、胴体を逆さまに釣り下げ皮はぎにかかった。この店の作業の合間に、隣の店の前でも次の山羊の首にナイフを入れた。不自然なところのまったくない、手際の良い作業だった。

 仲間が解体される、すぐそばで自分の順番を待つ山羊たちが、間近に迫った運命を知ってか知らずか、いつものトボケた表情でぼんやりしている。特段自分の運命を悲観しているふうでもない。

 そんな光景を、風景でも見るように眺めながら「もし山羊が自殺できるとしたら」などと変なことを考えていた。

 山羊は自分の運命を悲観して自殺するだろうか? しないような気がする。やっぱり従順に自分が「処理」される順番を待つのじゃないだろうか。

 万一自殺したとしたら・・・屠殺人にとっては手間が1つ省けるだけの話かもしれない。さっそく皮をはぎ、逆さにつり下げ・・・

Andaman Album(一部インド本国含む)

コメントを残す

(クリックすると拡大します) 

Little Andaman

Little Andaman

Little Andaman

Little Andaman

Mayabunder(North Andaman)

Mayabunder

Mayabunder

Mayabunder

Mayabunder

Mayabunder

Mayabunder

Mayabunder

Mayabunder

Mayabunder

Mayabunder

Little Andaman

South Andama

Mayabunder

Havalock Island

Havalock Island

South Andaman

Thirumala

Port Blair

Thirupaty

Portblair-LittleAndaman

ココナツの実は未熟が美味

コメントを残す

 ニール島のバンブーハウスに泊まっていた時のこと。夜半に突然ものすごい衝撃音が響いた。ドスンという何か重たい物がたたきつけられたような音。

 朝起きてみると、ココナツの実が1つ地面に転がっていた。

 バンブーハウスの屋根を覆うように、天高くココナツの木が生えている。その地上から十数メートルのところに、実が5つ6つかたまってなっている。その実が熟して自然に落下する。時々バンブーハウスの屋根を直撃し、とてつもない大きな音を立てる。昨夜も1つが落ちたのだった。

 落ちてくるのは実だけではない。枯れた葉も落ちてくる。「葉」とは言っても幹から直接生えている葉は、根元のところが10センチほどの太さ。地面に落ちてきた時は、これも大きな音を立てる。実も葉も直撃されたら危ないのじゃないか? 地元の人に聞いてみたが、「そんな物でケガした島民はいない」という返事だった。

 隣のバンブーハウスに泊まっていたイスラエルの青年が、ナタを借りてきてココナツ割りに挑戦した。堅い殻を割るのに苦戦の様子だったが、ようやく2つに割り、1つを私にくれた。

 殻の内側についた厚さ1センチほどの白い部分を、ナイフでほじって喰う。ちょっと甘くて油があって、さくさくしていて味は悪くない。でも堅い繊維質が口の中に残った。

 スプーンでほじってみたが、堅くて歯が立たなかった。残りを犬にやった。白い実は犬にとっても好物なようだが、彼らも殻から白い部分をはがして喰うのには悪戦苦闘していた。

 リトル・アンダマン島のココナツ林で、収穫作業中の男に呼び止められた。男は完熟前のまだ“若い”実を取り上げると、使用人らしい男にナタで穴を開けさせ差し出した。私はその穴に直接口をつけてココナツ・ジュースを飲んだ。サイクリングで乾いたのどに、かすかな甘みが心地よかった。

 男は空になった実を真2つに割り、内部をえぐり取った。ゼリーより少し堅めの白い部分が、ペロンと簡単にはがれた。喰ってみると繊維質はまったくなくて、牛乳プリンのようだった。放し飼いのブタが、おこぼれを期待して近寄ってきた。

 ココナツの実をそのまま味わいたいのなら、完全に熟したものではなく、若いうちに採ったものの方がうまい、ということを初めて知った。

夜明け、浜は水洗トイレでもある

2件のコメント

 北アンダマンの小さな町マヤブンダールに前後5泊した。毎朝日の出前に浜に出て、魚の水揚げ風景を眺めていた。この付近は「マヤ」と呼ばれる小ニシンに似た小魚がよく獲れる。地名の「マヤ・ブンダール」もここからきたらしい。

 インドの東端に位置するアンダマン諸島の朝が明けるのは早い。薄明るくなる5時ころ、焼き玉エンジンを思わせる乾いた音が沖合から響いてきた。

 浜辺には夫の帰りを待つ女房や、魚売りの女たちが金ダライを頭に載せて集まってくる。ここで仕入れた魚をマーケットで売るのである。5時半、日の出。太陽光が海面に強烈な光の帯を反射する。女たちのカラフルな衣装がよく映える。

 船と漁師と金ダライの女たちの姿が、シルエットとなって長い影を描く。美しい!

 この光景から一転、岸辺に目を落とすと、ありとあらゆるゴミが捨てられ、潮の香りと腐敗臭が微妙に混ざり合って、やはりここもインドだなぁ、などと思ってしまう。

 潮の引いた海岸線の近くで、ウンコ座りをしている人影がポツリポツリと見える。こちらの人は路上でもよくこのスタイルでたたずんでいることが多いから断定はできないけれど、多分、朝一番の「用足し」であろう。

 浜は彼らの水洗トイレでもある。浅瀬なら排泄物は即、群がってきた小魚たちの餌になる。

 薄暗い浜辺を歩いていて、生まれたてほやほやのウンコを踏んづけそうになった。これも日中の強烈な太陽光線の下ですぐに干からび、次の大潮の時にきれいに洗い流され、海に運ばれて行って魚たちの餌になる。大きく育った魚を漁師たちが獲り、女房たちが売りさばき、私たちが喰う。シンプルな自然循環の法則。

Older Entries