サイゴンのホテルの前。カジュアルなジャケットでびしっときめた、裕福そうな日本人の男がタクシー待ちをしながら、素手でゴルフ・スイングの真似事を繰り返していた。
 そこに小さな子どもを胸に抱えた、30歳くらいの物売り女が近寄り、何かを売りつけようとしている。宝くじか、あるいはチューインガムか? 男は「いらん、いらん」の身振り。女は方針転換、子どもを指さして「この子のために、カネをくれ」。物乞いに転じた。男は鷹揚に胸ポケットに腕をつっこみ、革財布から紙幣を数枚取り出した。
 と、その時、女の腕の中の子どもが、ついと小さな手を伸ばし、男の手から紙幣をさっとひったくった。見事な早業。
  

 物乞いは、しばしば子どもをダシに使う。その方が同情を得やすく、稼ぎがいいからだろう。専門(?)の乞食だけでなく、普通の親までが、ガイジン観光客を見たら手を出してねだってみろ、とわが子にけしかけているフシもある。
 子どもに「おねだり」の習慣を覚えさせて、この国の将来はいったいどうなるのだろう?! 最初は柄にもなく、嘆かわしい気持ちになった。でも考えてみれば、わが国だって敗戦直後は、きっとこうだったんだ。
  

 カンボジアのシアヌークビルは、ヨーロッパからのバカンス客でいっぱい。夜になると、波打ち際に並んだレストランで、ガイジンさんがビールやワイン片手にディナーを始める。そこをねらい目に、物売りや物乞いが客席を回り始める。従業員も咎め立てはしない。
 一杯機嫌のせいか、はたまた自分たちだけご馳走にありついているという罪悪感のせいか、ねだられる側もつい気前がよくなる。
 そのビーチに、夕方になるとオートバイの後ろに乗せてもらって「出勤」してくる、片足のない男がいた。松葉杖を突き、たいていは英語の小説やガイドブックを抱えて売り歩く。でも、すっかり日が落ちてあたりが暗くなると、本の販売をあきらめて、物乞いを始める。
  

 路上の物売りは、ときどき物乞いに変身する。昨年滞在した、カナダでは、大道芸と物乞いの境界線があいまいだったが、ここベトナム、カンボジアでは、物売りと物乞いの区別がはっきりしない。この松葉杖男もその1人。毎日夕方の決まった時間に現れる彼に、つい日本のサラリーマンの律儀な出勤風景を重ねてしまった。
 たしかに彼にとって、これは毎日の仕事であるに違いない。ささやかな商品のやりとりを伴うかどうかの違いだけで、物売りも物乞いも、大差はない。毎日の生活を支えるために、彼なりに精一杯働いているのであろう。
 貧しいこの国では、貧者救済の制度が十分に整えられているとは思えない。ならば自分で糊口をしのぐしかない。
 先進国だって、ボランティアでかり出された老人、子ども達が、一種脅迫的な「お願いしまーす」の連呼で、「恵まれない人々」のために通行人から寄付を集める。
 同じ他人の「善意」にすがるのでも、ベトナム、カンボジアでは自らが直接募金する。究極の自助努力、自己責任。共同募金などのような中間の事務局経費もかからないから、募金はまるまる貧者(つまりは自分)の懐に入る。簡潔明瞭、効率もいい。
 こんなことを考えるうちに、物乞いに対する、最初の嘆かわしい気持ちは失せてしまった。
  

 サイゴンの食堂で飯を食っていると、ほら、またやって来た。今度は、目の不自由な老婆だ。テーブルにやって来て、無言で手を差し出した。たまたま手元に、さっき釣り銭でもらったばかりの200ドン硬貨が1枚あったから、老婆に手渡した。
 硬貨を手に取った老婆は、よく見えない目にそれを近づけ、ためつすがめつ、しげしげと確かめた上で、こちらに硬貨を押し返して寄こし、さっさと向こうに行ってしまった。「こんな端下金、いらん」
 200ドンは日本円にしたら1円ちょっと。たしかに、あげるには小銭すぎた。老婆のプライドを傷つけたかもしれん。こっちも、ばつ悪るーっ・・・・