村上春樹の「1Q84 book1~book3」を読んだ。それなりに面白かったのだけど、今さらここに紹介する気が起きなかった。で、これはパスして初めてのドリアン助川。自転車、東日本大震災などこちらの関心とかぶる部分があって、期待した以上に面白かった。 
 東日本大震災と福島原発事故発生の翌年2012年、著者は芭蕉が歩いた「奥の細道」をたどって東京から平泉まで、そこから日本海側に抜けて海岸線沿いに南下して敦賀→琵琶湖へ。主として自転車で、時に列車やバスも利用しながら、持って行った線量計で行く先々の放射線量を測定し、地元の人たちと交流しながら原発や震災復興への思いを深めた。
 通過した地点は立ち入り制限区域の外側だが、福島県西郷村の児童福祉施設敷地内(除染済み)で毎時0.596マイクロシーベルト、福島市街にほど近い信夫山展望台(未除染)で毎時1.34マイクロシーベルトを観測するなど、太平洋側では軒並み「安全」の目安とされる0.1マイクロシーベルトを上回った。
 自然界にある放射線を除いて、一般住民の放射線許容量の目安とされるのは、年間1ミリシーベルト=1,000マイクロシーベルト。毎時1.34マイクロシーベルトはここに住む住民にとっては1.34×24時間×365日で年間11.7ミリシーベルトに相当し、許容範囲を大きく超える。
 急性放射線障害が発生するような強烈な放射線じゃないから、もちろん「ただちに影響が現れる線量ではない」。でも放射線量には、これ以下なら安全とする基準はない。小さな被ばくはそれなりに小さな確率で影響が予想され、自然放射線でもがんの発生は引き起こされている。年間10ミリシーベルトの被ばくは、長いスパンで考えれば統計的に有意差が現れることが予想される。
 
 著者は奥の細道をたどり、元の生活に戻ろうと苦闘する地元の人の姿に接して激しく葛藤する。放射線量を公表することは、復興を目指す地元に追い打ちをかける行為ではないだろうか? 福島産の農産物がますます敬遠されることになりはしないか? これは「風評被害」に拍車をかけることになりはしないか?
 「復興を急ぐみなさんは、ここが汚染されているなどとは微塵も公表してほしくないだろう。その気持ちはわかる」「旅をしながら放射線量を測るというこの行為は、だれに対するいやがらせでもない」「農作物を出荷できずに苦しんでいる農民や、海に網を入れることができない漁民や、外で思いきり遊ぶことができない子供たちのことを考え、だれか1人悪者にならないといけないと思いやっている」

 私(ピカテン)も震災直後に自転車で仙台→多賀城→塩釜、震災8か月後にレンタカーで釜石~仙台、2013年に自転車で福島→川俣→飯館→南相馬→小高→仙台、2015年に列車でいわき→広野→楢葉町竜田を訪ねた。
 避難解除になったばかりの竜田駅前の線量モニターが毎時0.208マイクロシーベルトを示していたのを思い出す。直前に訪れたチェルノブイリの立ち入り制限区域入り口(原発から約30㌔)の放射線量は0.1マイクロシーベルトを目安として定められていた。
 東北の復興をアピールしたい政府・国などは、許容放射線量の目安を引き上げることで、フクシマの安全をアピールする動きを見せている。現実にある汚染に目をつぶって、なんでもかんでも「風評被害」扱いするのはアベコベであろう。
 福島県の危険を強調したいわけではない。70歳に達した俺のような爺さんなど、この程度の放射線量の増加は己の健康にまず関係ない。がんになろうとなるまいと、どっちみち余命はあと10年そこそこ。うまくて安けりゃ福島産の農産物をまったく気にも留めずに食っている。