18世紀、経済学の父と呼ばれるアダム・スミスは、技術の進歩による生産性の向上は「労働を容易にし、時間を短縮する」と考えていた。かの経済学者ケインズも「21世紀初頭には、週の労働時間は15時間を超えることはない」とさえ予想した。

 現実はどうか? 月200時間を超えるような時間外労働や「カローシ(過労死)」がまかり通る仕事の現場がある。技術革新や進歩は、必ずしも労働を軽減する方向には向いてこなかった。

 どーしてなのか? この本は、その歴史的変遷を人類学的知見から解明しようとした。数年前、世界的なベストセラーになったユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」が、考古学や人類学の近年の成果を取り入れていたのと軌を一にしているように思われる。

 著者はアフリカ南部のカラハリ砂漠に住む狩猟採集民「ジョホアン族」(コイサンの1部族)を調査してきた人類学者。コイサンはホモ・サピエンスが誕生した約30万年前から、ほぼ同じような採集生活を送ってきたと考えられている。彼らの労働時間は1日2時間くらい。「長く続くこと」が文明の成功の尺度と考えると、彼らの採集経済は、人類史上もっとも成功した(長く続いた)文明だった。ジョホアン族の社会は完全な個人主義、平等主義である。彼らの所有する物質の量は先進・資本主義社会に比べて圧倒的に少ない。

 1万2千年ほど前の農業開始、2百年前の産業革命を経て、資本主義が世界を支配する現在社会は、「個人の自由」と「物質的平等」は両立しない、とするのが常識・基準になってしまった。

 かつての歴史教科書には、採集経済は貧しく、農業の発明によって人の生活が豊かになった、と書かれていた。近年の考古学、人類学は、農業開始後の一般人の大半は苛酷な労働と栄養不良に陥っていたことを明らかにした。

 今や必要な物は有り余るほどあるのに、欲望は際限を知らずに肥大化し欠乏感に苛まれている。そして社会の仕組そのものも、新たな需要(本当は必要のない需要)を生み出すようにつくられている。

 「現代の私たちの仕事に向き合う姿勢は、農業への移行や都市への移住の結果、生じたものである」と著者はいう。私たちは、このことを認識することによって、農業革命以来のくびきから解放されて持続可能な将来を想像できる。そうして「仕事生活をがっちりつかんで支配してきた欠乏の経済学の力を弱め、維持できないほどの経済成長への固執を減少させる」ことが必要だと説く。

  こちとらの無知と文章能力の欠如を承知で言うのだが、原文に忠実に訳そうとした結果なのか、ワンセンテンスが長めで、紛らわしかったり、意味を正確に理解するのに手間取る文章が散見される。