久しぶりに手元にある井伏鱒二自選全集の第5巻を開いてみた。若いころ、この作家の作品がけっこう好きで読んでいた。第5巻のメーン「駅前旅館」は当時とその後に2度ほど読んだ記憶があるのだが、「故篠原陸軍中尉」と短編「戦死・戦病死」は、まったく記憶にない。たぶん読んでいなかったのだと思う。

「黒い雨」でもそうだが、どんなテーマでも、慌てず騒がず叫ばず、いつも淡々と描写するこの作家の文章が心地よい。オレ(=ピカテン)がトシをくったせいかもしれない、と思う一方で、今の時代のメディア(特にテレビのワイドショーなど)の、「世間」の尻馬にのっかったような、あざとい言説にあきあきしているから、余計にそう感じるのかもしれない。

 「戦死・戦病死」に蛇足のように書かれている、山下将軍に叱られた話が、なんとなくユーモラス。

 戦中、井伏は軍に徴用され宣伝班員としてシンガポールにいた。駐留していた英軍を打ち負かし、有名な「イエスかノーか」と降伏を迫ったことで、「マレーの虎」の異名をもつ山下将軍は「武勲赫々たる司令官であった」。その将軍が宣伝班に怒鳴り込んできた。宣伝班の新聞人が編集していた「建設新聞」に掲載された詩が気に食わない、と大声で怒鳴った。

 その時、ふと廊下をのぞいた井伏と、廊下を歩いてきた山下将軍の眼が一瞬合った。井伏はそのまま顔を引っ込めたが、山下将軍は「無礼者め」と怒鳴って、地団駄を踏みながら団栗(どんぐり)まなこで井伏を睨みつけた。(今なら、確実にパワハラでアウトだねえ)

 直立不動の姿勢の井伏は「はい」と答えた。「その声は、私が自分の子供を叱るときに聞く子供の声に似通ってゐた。それが何とも情けなかった」

 その山下将軍は敗戦で死刑になった。その他、大戦中に亡くなった同僚たちを回顧し、井伏は「自分がまだ生きているからと云って、寝ざめの悪い思ひをするようなことはない」「私は自分で自分への点数を辛くしたらやりきれないと思ふ」と書く。

 災害などで肉親や部下を亡くした人が、自分だけ生き残ったことに後ろめたい思いを抱くことがあるようだ。井伏はどんなことを言いたくて、この一節を書きとめたのだろう?