恥ずかしながら、須賀敦子という作家を知らなかった。たぶん、これまで1度も読んだことがなかったと思う。

「須賀敦子」を教えてくれたのは、私が密かに「仙人さん」と呼んでいた大学時代からの友人である。彼は徳島県の出身で、昨年のメールに「彼女(須賀のこと)の随筆の、留学時代のパリからイタリア行きの夜汽車での記述が、私の学生時代の北海道への往復の夜汽車の旅(最初の頃は2日を要しました)と思い合わされて親近感を覚えたのが最初です。その後も著作の雰囲気が気に入って読むようになりました」とあった。

 で、ちょっと拾い読みでもしてみようと、この本を図書館から借りだしてきたのだが、ついつい全5百ページ余りを最後まで読み通すことになってしまった。

「コルシア書店の仲間たち」を中心に、「ミラノ 霧の風景」(女流文学賞と講談社エッセイ賞受賞)、「トリエステの坂道」「ユルスナールの靴」など1990年代に出版した単行本から37編のエッセイなどを収録している。

 いずれも静謐な文体。しばしば質の良い短編小説を読んだ後のような趣さえ感じさせる。どんでん返しとか、気の利いたオチとかとも違うのだが、ある種の驚きの結末や、はっとする表現で結ばれていて、しばらく余韻が残る。

 カトリック左派と呼ばれる人たちが、理想を追い求めて運営していた、ミラノのコルシア書店が行き詰った。「それぞれの心のなかにある書店が微妙に違っているのを、若い私たちは無視して、いちずに前進しようとした。その相違が、人間のだれもが、究極においては生きなければならない孤独と隣りあわせで、人それぞれ自分自身の孤独を確立しないかぎり、人生は始まらないということを、すくなくとも私は、ながいこと理解できないでいた」(「ダヴィデに―あとがきにかえて」)

 ちょうどこの本を読み終わったとき、偶然にもNHKラジオの「高橋源一郎の飛ぶ教室」で、「ミラノ 霧の風景」が取り上げられていた。

 須賀敦子はイタリア文学者で、ながらくイタリアで暮らし、日本文学をイタリア語へ、イタリア文学を日本語へと、両方向の翻訳を手掛けた。日本に戻ってからは、イタリア生活で出会った人々の姿を、端正な日本語で描き出した。最初の単行本「ミラノ 霧の風景」を出したのが1990年。1998年に69歳で亡くなるまでの短い期間につぎつぎと作品を発表し、源一郎センセイによると、彼女の作品はかなりのファンを獲得したそうだ。

 1990年代といえば、私=ピカテンにとっては、仕事がもっとも困難だった時代。ほとんど本を読む余裕もなかったのを思い出す。

 蛇足として、「ガールの水道橋」から、心に残った文章を1つ抜き書きしておこう。

「そもそも、男女ふたりの真相など、本人たちにだってわからないものなのだ」

 古来「夫婦喧嘩は犬も喰わぬ」と言われてきたように、夫婦だけでなく、男と女の仲など、当の本人たちだってわからないのだから、第三者にはうかがい知れぬもの。外野があれこれ口出しすることではないーーの教訓。