初めての手術・入院、1泊体験

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 脳外科に入院してアタマの手術を受けてきた。これまで62年余りの人生で入院したことも手術を受けたこともなかった。1泊2日の初体験。

 硬膜下血腫。左脳と硬膜の間が出血し血がたまって、脳全体を圧迫している。

 兆候は1ヵ月ほど前からあった。ザーザーと血液の流れる耳鳴りが常にして、頭痛が続いた。右手の五指の感覚が時々鈍くなることもあった。何か変だ。そして東北旅行中、酔っぱらってもいないのに2度ほどろれつが回らなくなった。短時間だったけど「いよいよ酒毒が脳に回ったか?」

 さすがに気になって、でも軽い気持ちで脳外科で検査を受けたら、アタマから血を抜く手術が必要、と宣告されてしまった。

 3日後に再訪した。当初は1週間から10日間の入院と言われたけれど、ひと晩かけて血を抜いたら、医者が「1週間後に抜糸します。それまで入院していてもいいし、うちに帰りたかったら帰ってもいい」と言ってくれたので、さっさと退散した。

 若くてかわいい?看護婦さんや看護助手さんとの1週間も悪くない、と一瞬思ったのだけれど、周りのベッドは生きてるのか死んでるのか判然としない爺いばかり。こちらまで感染しそう。これ以上ボケが進むのはたまらん。

 もっとも老人・精神病院で看護助手をしている末娘によると、こんな人事不省にみえる患者でも、思いがけないときに目覚めて突然まともなことをしゃべり出すことがあるのだそうだ。「今しゃべったのだれ?」。まともに話す患者などいないと思いこんでいた職員が驚いてあたりを見回す。その時は、当の患者はいつもの状態、つまりはミドル・ワールドに落ち込んでいる。

 手術は約1時間。局所麻酔だったのでほとんど記憶にある。頭皮を3センチほど切り開いた時と、最後に皮膚を縫った?時は少々痛かった。医師が看護婦に何かを取って寄こすよう指示したり、誰かが冗談を言って笑うのも聞こえた。俺は内心、安堵した。

 頭蓋骨にドリルで穴を開けるとき、ゴリゴリと鈍く振動した。多分、途中で刃先を太いものから細いものに換えたように思う。目隠しされていたから定かではないが。その穴から直径数ミリの管を差し込んだ。痛くはなかったけれど、うっ、と息詰まるような辛さがあった。

 手術の前後に医者から「アタマをぶつけたことなかったですか?」と何度か訊ねられた。数ヵ月も前のことなど、よほどのことでない限り覚えていない。アタマだけでなくからだの一部をぶつけたり、しらないうちに青あざを作っていることなどはしょっちゅうである。特に俺の頭部はクッションがない分、他の人より無防備である。

 1泊でそそくさと退院したものの、病院での扱いは至れり尽くせりだった。あれじゃ、職員が忙しい。人手がかかっている。つまりは医療費がかかる。自己負担は限度額いっぱいの8万ナニガシ。あ~あ、カンボジア往復10日間がパーになっちゃった。アイタタタ・・・

東野圭吾著「容疑者Xの献身」

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 東野圭吾は、十数年前に「秘密」を読んで以来2冊目。「秘密」「容疑者Xの献身」ともにミステリー仕立ての「純愛小説」と言っていいんじゃなかろうか。中年の愛、という共通点もある。

 トリックには、私もみごとにひっかかった。はじめは読者を騙すトリックと気づかずに、印刷ミスじゃなかろーか、と前半のページをめくり返してもみた。

 読後感も悪くない。善意にあふれている。でもね・・・こちとらが、あまりにもトウが立ち過ぎてしまった。純愛とか底抜けの善意なんて!こっぱずかしい。

 

 この本は、脳外科病院の待合室の本棚に見つけ、検査・診察の待ち時間に読んだ。診察の方が思ったよりも早く終わったので、病院では読み終えることができなかった。3日後にまたこの病院に来る。それまで「貸してくれ」とずーずーしくも窓口にお願いしたら、「それまで取って措いてあげますから」とやんわり断られてしまった。

 こんな小説、途中中断ほどつまらないものはない。やむなく古本屋で探した。運良く一軒目で見つけることができた。

 

 ところで、この病院に行ったのはボケ症状が現れたからだ。この本の中でも何度か使われていた「躊躇う」という仮名遣いもなかなか読めない。意味は分かっても「どう、ふりがなをふるんだったっけ?」。

    確かめるために辞書を引く。この作者は「ためらう」と読ませているわけだ。数ページ後に同じ「躊躇う」が出てくると、再び「とまどう」だったか?なんて、迷い出す。また辞書で確かめる。なかなか覚えられない。繰り返すこと3度、4度。

    慢性的硬膜下出血、ほおっておくとぼけ症状に進むんだってさ。

三陸をひと回り

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 1週間かけて、岩手、宮城の三陸海岸をひと回りしてきた。

 災害発生3週間後に仙台、多賀城、七ヶ浜付近を見たし、すでにたくさんの劇的な災害写真が公開されている。災害から8ヵ月たった今でも毎日たくさんの関連ニュースが流れているから、私がここで何かを伝えることができるなんて、少しも思っていない。ただ、自分の目で地震津波の跡を確かめたいと思っただけだ。

 印象では、地域によって復興の進み具合に差があるなぁ~。最初に泊まった宮古市街や、3月に訪れたときはあれほどゴミと腐臭の町だった多賀城なんかは、思ったよりもきれいになっていた。一見すると、あくまで国道から見た印象だが、ここを津波が押し寄せたことを知らなければ、空き地が少し多い感じはあるけれど、被災地とはあまり思われない。

 宮古で宿泊した市街地のホテルは、1階部分が1.8㍍ほど水没したと言っていたし、飲みに行った居酒屋の爺さんは、元の店がぶっこわれて、新しい店を出したばかりだった。でもそれぞれに営業を再開していた。

 同じ宮古市でも、港近くの小さな集落はコンクリート土台ばかりになっていたから、人やカネの集積がある地域は、復興も早いのかもしれない。

 印象深かったのは大槌町。国道45号を走り抜ければバイバスで通り過ぎるところだったが、国道から外れて海岸沿いの町に足を踏み入れると、入り江に沿った市街地が根こそぎ消滅していた。鉄骨やコンクリート製の3、4階建て建物がいくつか残ってはいたものの、2階部分くらいまでがめちゃめちゃになっていて、どれも人が住んでいる様子がない。

 狭い入り江をさかのぼった津波が、5㍍ほどの堤防を乗り越え、決壊し、市街地を襲ったもののようだ。かろうじて山際の数軒が生き残ったか? すでにがれきは取り除かれていた。とは言っても近くの海岸に広大な山となって積み上げられていただけだが。

 高台にあるお墓だけが目についた。

 大船渡は地盤沈下激しく、満潮時には道路に海水が噴き出し、岸壁が海水に洗われる。

    気仙沼は、国道沿いに壊れた建物がまだ多く残されていた。陸に上がった汽船が、つっかい棒で支えられて国道脇に残されている。災害記念に保存されるらしい。周りの半壊建物も保存の一環だろうか? てなことはないだろうけど・・

地震津波から8カ月

1件のコメント

大槌町。堤防が決壊し、津波が市街地と飲み込んだ

大槌町。町がひとつ消滅。残った建物も使い物にならず

河口の橋は橋げたを残して・・・

気仙沼。陸に上った船

気仙沼

大船渡。地盤沈下

陸前高田・小友

宮古の港近く

がれき(大槌町)

がれき車

陸に上った船

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