1週間かけて、岩手、宮城の三陸海岸をひと回りしてきた。

 災害発生3週間後に仙台、多賀城、七ヶ浜付近を見たし、すでにたくさんの劇的な災害写真が公開されている。災害から8ヵ月たった今でも毎日たくさんの関連ニュースが流れているから、私がここで何かを伝えることができるなんて、少しも思っていない。ただ、自分の目で地震津波の跡を確かめたいと思っただけだ。

 印象では、地域によって復興の進み具合に差があるなぁ~。最初に泊まった宮古市街や、3月に訪れたときはあれほどゴミと腐臭の町だった多賀城なんかは、思ったよりもきれいになっていた。一見すると、あくまで国道から見た印象だが、ここを津波が押し寄せたことを知らなければ、空き地が少し多い感じはあるけれど、被災地とはあまり思われない。

 宮古で宿泊した市街地のホテルは、1階部分が1.8㍍ほど水没したと言っていたし、飲みに行った居酒屋の爺さんは、元の店がぶっこわれて、新しい店を出したばかりだった。でもそれぞれに営業を再開していた。

 同じ宮古市でも、港近くの小さな集落はコンクリート土台ばかりになっていたから、人やカネの集積がある地域は、復興も早いのかもしれない。

 印象深かったのは大槌町。国道45号を走り抜ければバイバスで通り過ぎるところだったが、国道から外れて海岸沿いの町に足を踏み入れると、入り江に沿った市街地が根こそぎ消滅していた。鉄骨やコンクリート製の3、4階建て建物がいくつか残ってはいたものの、2階部分くらいまでがめちゃめちゃになっていて、どれも人が住んでいる様子がない。

 狭い入り江をさかのぼった津波が、5㍍ほどの堤防を乗り越え、決壊し、市街地を襲ったもののようだ。かろうじて山際の数軒が生き残ったか? すでにがれきは取り除かれていた。とは言っても近くの海岸に広大な山となって積み上げられていただけだが。

 高台にあるお墓だけが目についた。

 大船渡は地盤沈下激しく、満潮時には道路に海水が噴き出し、岸壁が海水に洗われる。

    気仙沼は、国道沿いに壊れた建物がまだ多く残されていた。陸に上がった汽船が、つっかい棒で支えられて国道脇に残されている。災害記念に保存されるらしい。周りの半壊建物も保存の一環だろうか? てなことはないだろうけど・・