「献身」「つつしみぶかい」「勤勉」「忠実」「粋」「恥を知る」「義理堅い」「清貧」「陰徳」エトセトラ・・・著者はこれらを日本人の美点として挙げる。

 大震災の際に、家族を亡くし食料も乏しい中、おとなしく列を作って援助を待つ日本人の行動が、外国メディアでも世界に紹介され一種の日本人論として語られた。カナダの知人から「同じ日本人として鼻が高い」と言った主旨の手紙をもらったこともある。

 たしかに外国の災害や難民のニュースには、救援物資を奪い合う姿が映し出され、日本人の「おとなしさ」「つつしみぶかさ」「従順さ」が際だっているように思える。

 先進国と途上国と、日ごろの経済的な差も反映しているだろう。でもそれだけでない。同じように豊かでも欧米人なら、もっと「俺が」「俺が」と自己主張しそうに思う。

 

 「古本屋のおやじ」を自認する著者が、本に現れた日本人の美点にまつわるエピソードを7編にまとめて紹介した。その日の暮らしにも事欠く樋口一葉が、借金の算段をして香典代を工面した話は、古今の書籍に通じた著者ならではの「その後のエピソード」もある。

 ところで著者はこの本のタイトルを「ニッポンジン」ではなく「ニホンジンの美風」と読んでほしい、と述べる。

 長谷川如是閑によると、「ニッポン」は明治半ばころに軍人が声高に唱えたもので、「ニホン」では勇ましく聞こえないからだそうだ。軍人が官憲や教育者に強制して、ニッポンを広めたという。そーいや、あの黒い街宣車もよく「ニッポン」を、がなり立てるなぁ~。

 

 俺個人としては、これら日本人の特徴が「美風」と呼べるようなプラス面だけなのか、疑っている。例えば「従順さ」も「義理堅さ」も、時にはヘンな方向に走ることがある。

 例えとして適切かどうかは分からないが、カンボジアも周辺国の中では仏教心の篤い、おとなしい国民性で知られる。そのカンボジア人がキリング・フィールドと呼ばれる大虐殺を起こしてしまった。指導者のポルポトも凶悪とは正反対の、理想追求型の人物だったらしい。

 真面目で勤勉なドイツもナチスを生んだ。各地で残虐な?殺戮を繰り返している過激派も、ふだんは清貧や奉仕、滅私的活動で住民の支持を集めていたりする。

 一方でわれら日本人旅行者には、軒並み詐欺師とインチキ男ばかり、と思いたくなるような国(例えばインド。多分に俺の狭い偏見だけど)では、案外に凶悪事件が少なくて、歴史的にも侵略するよりも侵略されることが多かったりする。

 その土地や文化がはぐくんだ国民性の違いはある。でも、良い国民性、悪い国民性、といったものはない。それは時には「美風」になり、時には「悪風」にもなるんじゃなかろうか。