アルメニアとの国境に近いグルジアの町ドゥマニシ市街から、ドゥマニシ原人が発掘されたパタラドゥマニシに向かう山道沿いに、いくつかのアゼルバイジャン人の集落がある。

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 よそ者の私にはほとんど見分けがつかないけど、ドライバーのゲオルゲは[ここはアゼルバイジャン人の村][こっちはグルジア人]、さらには[彼はグルジア人、彼女はアゼルバイジャン人]と、一人ひとり見分けがつくようだった。
 グルジア人の多くがキリスト教なのに対し、アゼルバイジャン人の多くはイスラム教。風体から分かるのか、あるいは顔が広くて周りの信頼が厚いゲオルゲだから、個人的に知っているのかはよくわからない。

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 私の印象では、グルジア人の村もアゼルバイジャン人の村も、ほとんど変わらないけど、心なしかアゼルバイジャン人の方が貧しいかな?とも感じた。
 村の中の道をアヒルが列をつくってうろうろし、ロバに引かれた馬車も現役。でも、こうした光景は必ずしもアゼルバイジャン人の村だけではなく、トビリシ近郊の農村地帯ではたまに見かけるから、アゼルバイジャン人だけが特に貧しいという証明にはならない。
 
 ソビエト連邦が崩壊して誕生したグルジア、アゼルバイジャン、アルメニアの3国だが、各民族がきれいに住み分けているわけではない。モザイクのように、あるいはパッチワークのように、それなりに隣人として暮らしている。
 それを国境という人工的な線を引くのだから、無理が生じる。ロシアとグルジア、アゼルバイジャンとの国境付近の紛争、アゼルバイジャンとアルメニアとの間のごちゃごちゃ。
 さらにグルジア内でもアブハジアと南オセチア自治国が独立を宣言(日本は未承認)….といった具合。
 でも今は落ち着いている。民族主義を言い出したら、どこまでも収拾がつかなくなることは、目に見えている。[ここは俺たちの国だ]と、隣人への不信、不審、排斥がわき起こればまた泥沼になる。
 そして、しばしば、その隣人不信を言い立て、大衆を煽り立てる煽動者、挑発者が現れると、世の中は一気に、その方向に引きずられる。
 ルワンダ虐殺の時もいましたね。ラジオを通してありもしない他民族の脅威を言い立てて、殺せ、やっつけろ、と叫びまわった輩が。後で判明したのは、彼がとるに足らないつまんないヤツだったこと。そんなやからの煽動でも、人は走り出したら止まらないのだ。
 その悲劇を体験した同宿のスロベニアの若者たち、過去に何度も国境紛争と民族対立を経てきたポーランド人のトマス(彼はあの人種浄化で名高いアウシュビッツのそばに住んでいる)が口をそろえる。[まったく、政治ってやつは]
 日本でもその兆候があるんじゃないの?[殺せ、やっつけろ]と叫ぶ若者がいるし、[中国と戦争して、今度は打ち負かしたい]などと広言する政治家、挑発者がいる。
 彼らは極端にしても、一般大衆の中に、根強く、しかも広範囲に浸透してきているように感じる。90%を超える反中、反韓の傾向は、彼ら挑発者や煽動者の思惑が半ば達成されつつあるのじゃなかろーか?
 
 ってなとりとめもないことを思いながら、ドゥマニシ原人発掘場所に着くと、そこは中世の城塞跡。石垣を積み上げた岩山の上の砦、周囲には石で作ったバンカー?なんかもあって、中世の人間もここら一帯で戦争ごっこをやっていたようなのだ。

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 まったく、ホモサピエンスってえヤツは進歩がない!とドゥマニシ原人(ホモエレクトゥス)は、思っているはずだ。(進化と退化は生物進化の上では同等。両方とも環境に合わせて、たまたま生き残っただけ)