1974年、米国人類学者のジョハンソンはエチオピアのハダールで、有名な人類化石「ルーシー」(アウストラロピテクス)を発見した。それから12年後、彼はタンザニアのオルドヴァイ渓谷で、今度はホモ・ハビリスを見つける幸運に恵まれる。

 ハビリスはアウストラロピテクスとホモ属(エレクトス、サピエンス)をつなぐ中間種と見られている。

「アウストラロピテクスが類人猿(チンパンジー)と袂を分かつ原因になったのは、直立歩行だった。頭は本質的に変わらなかった。次にホモ・ハビリスがアウストラロピテクスと袂を分かつ原因となったのは、頭、とりわけ脳だった。身体は本質的に変わらなかった。ホモ・ハビリスがホモ・エレクトスになるときに、身体はわれわれホモ・サピエンスと同じになった。同時に脳も拡大したが、それでもわれわれの3分の2だった」

「ルーシー」で一躍名声を獲得した著者は、その発掘の一部始終を書いた著書「ルーシー」(このブログのサイエンスブック参照)が世界中で売れに売れ、カリフォルニア大学に人類起源研究所を設置して自ら所長に収まった。

   その後、エチオピア側の国内事情もあってハダールの調査が頓挫し、もんもんとしていたジョハンソンは、高名な人類学者一家リーキー一族の“テリトリー”と化していたタンザニアのオルドヴァイ渓谷に乗り込んだ。チームには当時大学院生だった諏訪元氏も加わっていた。

   リーキー一族による長年の発掘調査で、めぼしい人類化石は掘り尽くされたと思われていたオルドヴァイだったが、著者たちはまたまた人類進化史に一石を投じる発見をやってのけたのだった。

   さすがは強運の持ち主ジョハンソン、やや皮肉っぽく言えば“化石ハンター”としての名声を不動のものとした。

    私は、一昨年にオルドヴァイを、今年2月にハダールを眺めてきた(このブログの「ケニア・タンザニア」「エチオピア・エジプト」参照)。ともに大地溝帯の中、樹木の乏しい高温の半砂漠地帯である。強烈な直射日光の下での発掘は、消耗する肉体労働であったろう。

    著者たちが発掘作業の合間に見物に行った、オルドヴァイ西方にある「動く砂丘」に、私も上ったのを思い出した。ほんの小さな砂丘なのに消滅もせず、千年間以上にわたって1日4センチほどのペースで風下側に移動している不思議な砂丘だった。

 追記 この本の記述のまま1日4センチの移動と書いたが、最近の5年間で200メートル移動した。1日で10センチ前後に相当する。