インド本国のチェンナイとアンダマン諸島を結ぶフェリー「スワラジウイープ号」は、3階に乗船口があり、3~5階は個室あるいは数人ずつに分かれたキャビン(客室)が並ぶ。1~2階は、いわゆる船底。水平面すれすれか、それより下に位置し、Bunk(バンク)と呼ばれる。

さあ、乗船。アンダマンに向かう軍人さんの姿が目立つ

 3階から乗り込んで受付を通り、船底に通じる階段を下りる。2階はまだ階段を通して外からの光が漏れ入ってくる。1階になるとすっかり「船底」という雰囲気。停電になったら真っ暗闇。水面下だからもちろん窓などない。

 バンクは簡単な仕切りでいくつかの大部屋に分かれ、1つの区域に20数台の二段ベッドが並んでいる。いわゆる安宿のドミトリーとほぼ同じつくり。ここまでは予想がついた。

 乗船チケットを買ったとき「雑魚寝ではない。客一人ひとりにベッドがある」と聞き、ついホテルのシーツと毛布付きのベッドを思い描いたのが、間違いのもとだった。次いで係員が付け加えた「夜行列車と同じ」の言葉が右の耳から左へとすり抜けてしまった。

 ベッドは長いすサイズ、幅が狭い。ここまではどうってことはない。そのベッドがビニール製だった。シーツだの毛布だのは、もちろんない。

 夜行列車のビニール製ベッドにはイヤな思い出がある。3年前の同じインド旅行のことだ。寝ても座っても、このビニール製マットレスに触れるお尻や背中、後頭部が汗をかき、垢とほこりがこびりついて、ついにあちこちに大きな吹き出物が出来、つぶれて潰瘍になった。

 インド人は慣れたもので、いつも持ち歩く大きな布で全身を蓑虫のように包み、吸汗性を高めると同時に、夜行の寒さからも身を守っていた。

 インドの夜行列車では大きなタオルかブランケットが絶対必要なことは、十分承知していたはずなのに・・・・

「しまった。ブランケットを買うのを忘れた」。乗船して後悔したがあとの祭。ありたけの衣服と手ぬぐいを体とビニール・ベッドの間にはさんで寝た。

 眠る前にシャワーを浴びに行った。乗り込む前の人混みと暑さ、乗船後にデッキで潮風に吹かれたせいで、全身がひどくべたつく。

 しかし、あ~ぁ、シャワー室の水は出なかった。トイレも水無し。ウンコがたまっている。シャワー室には残飯が捨てられ、小便場として使っている客もいた。聞けば水は朝昼夕の食事の前後の2時間ほどしか出ないのだそうだ。

 「こいつは3日間が思いやられる」。べとつく体のままビニール・シートのベッドに寝転がって、上の段のベッドの底を見上げ、悲観的な気分に陥った。

 上の段の男は、ラジオかレコーダーでひっきりなしに音楽を鳴らしている。もう寝ている客がいるというのにお構いなし。♪シャカシャカ、チャチャ・・・同じメロディーがエンドレステープのように、いつまでも繰り返される。2、3台先のベッドではデブ男が、列車が通り過ぎたような大いびきを間欠的に響かせ、その先で幼児が金切り声を上げる。まだ眠らないガキ共が室内を走り回り、叫ぶ。

 すぐ隣の下段のおやじが、寝返った拍子に一発放った。くそっ、なぜかこちらも腹んばいが悪くなって、下腹部に力を込めた。

 朝5時、シャワー室に水が来た。真っ先にシャワーを浴びる。狭い室内、壁に触れるとぬるぬるする。昨夜はここで小便をしていたヤツがいた。できるだけ体が周囲に触れぬよう、前後左右に気を配りながらシャワーを浴びる。それでもすっきりした。

 バンクの大部屋にはトイレの臭いが忍び込み、食い物のにおい、腐敗臭、体臭がカクテルされる。

 朝食後のシャワー室は酷いことになっていた。排水管が詰まり、深さ数十センチのプールになっていた。その水が船のローリングに合わせて、右に行ったり左に行ったり、その度に水しぶきを上げる。

 汚水は廊下にも流れ出し、これまた船の揺れに合わせて、周期的に左右に走る。客はタイミングを計って汚水の波を避け、一気に向こう側に走り抜ける。

 インドネシアでは漁船を改造したボートの甲板で3泊した。エジプトでは帆掛け船で3日間のナイル下りも体験した。両方ともシャワーなし、帆掛け船はトイレもなかった(つまり川岸が「どこでもトイレ」だった)けれど、不潔さという点では、このバンクが一番だろう。

 衛生過敏のニッポン人にはキビシイ3泊4日の船旅の始まりだった。