なかなか厳しいバンク生活ではあったが、3泊4日、実質60時間の船旅を終えてみたら、だんだん「下層大部屋」暮らしに慣れてきたこともあって、案外に楽しい船旅でもあった。

 昼も夜も、何もすることがないから、気が向いたら甲板を歩き回る。甲板もたいした広さはないから、ベンチに腰を下ろし、水面以外に何にもない大海原を眺める。

    このフェリーに乗っていたモンゴロイド系(ショーユ顔のいわゆる北方モンゴロイド系)は、私ともう1人。インド軍に所属しているネパールからの出稼ぎ兵だけだった。

 最近、世界中どこに行っても目に付く、中国人旅行者の姿はなかった。だいたいがインドでは中国人の姿をまったくと言っていいほど見かけない。印中関係は歴史的に敵対してきたから、インドを旅行する中国人などまずいない。

 私がインドの友好国・日本人と分かると珍しがってか、少し英語の話せるインド人が、代わるがわる話しかけてくる。中には「一緒に写真撮ってもいいですか」と、こちらを被写体にしようとするのもいる。

夜の甲板。カメラは交流の有効な手段だ

 ふだん撮ることには慣れていても、自分自身が撮られることはほとんどない。「否」とは言えないから、承諾するものの、カメラの前に立つのはどーも落ち着かない。

 だいたいが、こんな、こ汚いジジイを撮ってどーしよーというのだ?

 船旅の人々はみな優しい。狭い限られた空間で長時間を過ごすから、一種の共同体意識が働くせいだろうか? 

 それに南部インドの人々は、総じて誠実、友好的だ。前回のニューデリーなどで感じた「道行く人はみな詐欺師、ぼったくり」の印象はすっかり覆った。

 隣のベッドの「屁」おやじなどは、その代表格だろう。身長150センチくらいと小柄だが、良く発達した腕、肩の筋肉が、肉体労働者であることを物語っている。チェンナイからアンダマンに働きに行くところだという。

 英語はまったくしゃべらなかったが、私のことをしきりに気遣かってくれているのが、分かる。

「食堂が閉まる。飯をくったか?」「シャワー室に水が来た。早くシャワーを浴びに行け」

 身振り手振りで伝えようとする。本当に気の良さと真面目さだけが取り柄のようなおやじだった。考えてみれば、「気の良さ」以上に大切で高貴な人間の「取り柄」なんてあるのだろうか? 現実には「気が良いだけ」では、なかなか生きづらい世の中ではあるけれど・・・・

 たくさんの人たちから親しげに声をかけられるようになったものの、正直いうと私にはほとんど誰が誰やら見分けがつかない。みな、おんなじようなソース顔に見える。ふだん怒ったようなコワーイ表情のインド人である。あんなに親しげに挨拶してきたのは、きっとこれまでに話をした人なのだろう、そう勝手に決めて、こちらも調子よく応じた。

 インド南部のケララ地方から10日間の休暇をアンダマンで過ごす、警察官のバブー一家とは、しばしば交流した。バブー氏の顔はやっと他から見分けがつくようになった。バブー氏と行動を共にしていた同僚氏となると、2度3度話したくらいでは顔を覚えられなかった。

 コルカタで慈善活動をするマザーテレサ関係団体の、女性3人組とも2、3度言葉を交わした。彼女たちは青い線の入った白衣を着ていたから、例外的にすぐ見分けが付いた。でもどんな顔をしていたのか、今ではどうしても思い出せない。

 こちらからは見分けが付かなくとも、あちらから見たら、こちらは「毛色の違う」人間に見えるらしい。

 船内にはキャビン客用とバンク客用の食堂が5階と2階にある。乗船した日、知らないで5階のキャビン客用レストランに、初日の夕食から始まって下船日の朝食まで計8食分の食事をまとめて予約してしまった。8食分合わせて650ルピー(約1、100円)。

 食事時になると、レストランのカウンター付近は、長い列が出来る。おとなしく列の最後尾に並んでいると、年輩の配膳責任者みたいのが目ざとく私を見つけ、「あんたはこっちだ」と、列の一番前に並ばされた。

 他にたくさんの客が待っているのに、バンク客の私が優先されるのは、ちょっと心苦しい。後ろめたい。

 ニューデリーでは、日本人はほとんど「カモ」扱いだったのに、ここでは優遇される。う~ん、この落差はなんなんだろう? このでかいインドという国では、「インド人は〇〇だ」云々といった、決めつけはまったく意味をなさないのかもしれない。