ケニヤ、タンザニア内の移動はもっぱらマタツ(タンザニアではブジョー)と呼ぶ、料金の安い乗り合い自動車を利用した。普通の乗用車から小型のバンタイプまでいろいろで、満員になり次第出発する、アフリカではもっとも一般的な庶民の移動の手段である。ただし、ぎゅう詰めにされ、スリなんかの被害も多いから、日本の企業や役所は「マタツには乗るな」と社員や職員、その家族に指示しているそうだ。

 

ナイバッシャからナイロビに向かうマタツも、はじめから車の定員をオーバーしていた。3人がけの椅子に4人で座らされ、生憎と隣のおばさんがかなりの肥満体。車が激しく揺れるたびにデブおばさんの分厚い肩と俺のか細い肩が激しく押し合い、お肉たっぷりの胴体のがぶり寄りに、窓際の俺はますます身を小さくした。

 このままナイロビまで走るのを覚悟していたから、途中の町でこのおばさん含め何人かが下りたときは、本当にほっとした。やれやれ・・・

 と思っていたら、マタツは一向に走り出さない。助手のおやじが外に出て、通りがかりの人間を片端からつかまえて勧誘を始めた。前後を眺めると、他に5、6台のマタツが停車して客引きをしている。なかなか補充の客がつかまらないようだ。やれやれ・・・

 

 折良く家族らしい3人の女性グループが現れた。手に手に大きな袋包みとバッグを持ち、明らかにこれから出かけるところなのが分かる。カモ到来。助手の出番である。

 俺の乗ったマタツの助手は、年期の入った「したたかおやじ」。ここはおやじの腕の見せどころと、すぐにアタック開始。後ろのマタツの若い助手も3人と交渉を始めた。

 したたかおやじのターゲットは3人の中で一番年上のばあさん。まだ「乗る」とも言わないのに、ばあさんの大きな荷物をひったくるように取り上げると、さっさとこちらのマタツに運び込もうとする。敵の若い助手が「したたか」に追いすがって手提げを奪い返そうとする。互いに何か口々に怒鳴り合いながら、でも「したたか」は荷物を手放さない。そのまま車の中に放り込んだ。ばあさんも荷物に引きずられるように、「したたか」に腰を押されてこちらのマタツに乗り込んできた。

 「ばあさんさえ確保すれば、こっちのもんだ」

 いったんは「したたか」に軍配が上がったかに見えた。

 

 しかし、連れの若い2人の女がこちらに来るのを渋った。したたかおやじの説得に耳を貸さない。揚げ句に若い助手について後ろのマタツの方に行ってしまった。いったんはこちらの席に腰を下ろしたたばあさんだったが、連れが後ろに乗り込むのを目にして腰を浮かしかけた。「したたか」は「1人でもいいから」と、ばあさんの引き留め工作を続ける。

 でも若い2人をとられては形勢逆転。おやじの引き留めるのを振り払って、ばあさんは車を下りて連れの方に行ってしまった。後ろの車から若い助手が「それ見ろ」とおやじに悪態を浴びせながら、こちらに置きっぱなしになっていたばあさんの荷物を取り返しに来た。

 この一部始終を見ていた、後ろの客席の中年男が、いまいましげに

This is Kenya

 

この「This is Kenya」をケニアで何度か耳にした。

 一度は、ナイバッシャ湖の周囲を走る、これまたマタツの中で。この時は車の定員の2倍くらいの客が車内に詰め込まれた。客の半数は座席に腰を滑り込ませることも出来ずに中腰状態。後部入り口のスライド・ドアを開けっ放しにして、つま先と頭だけを車内に入れた2人の助手と客の1人が車体にしがみついた。俺の横にいた若い男が自嘲気味につぶやいた。「これがケニアさ」

 

 ナイロビでは、宿の近くで小型バス同士が接触した。ぶつけられたとおぼしき方から男数人がばらばらと飛び降りると、ぶつけたとおぼしき方の助手を引きずり下ろし、めちゃめちゃにぶん殴った。助手はほうほうの体で自分のバスに逃げ込んだ。

 衆人環視の一瞬の騒動。通行人もあっけにとられたように足を止め、たくさんの野次馬が集まってきた。歩道で眺めていた初老の男が、俺と目が合うとニヤリとして

This is Kenya!」

 俺はケニアが好きになった。