NHKで「鬼太郎が見た玉砕」を見た。面白かったのでこの「水木しげるのラバウル戦記 」を再読してみた。ついついやめられなくなって、夜中の2、3時間で読んでしまった。絵がページの半分くらいを占めるから、「見た」のかもしれない。

 テレビでは、水木センセイは要領が悪くてビンタばかり喰らっていたように描かれているが、本人の書いたこの本では、けっこう要領よろしく、しかも他の初年兵に比べると比較的健康で元気だったことが分かる。土人(著者は土とともに生きている素晴らしい人の意味でこう表現している)と仲良くなって、タバコと引き替えに食料を入手する術にも長けていた。

他の兵隊と異なったのは、生来の規則・規律嫌い。作業中にふらりと姿を消したり、土人の部落にしけ込んだり・・・。銃の手入れのようなことはすぐ手抜きする。だから、やっぱり古参兵からはさんざんビンタを喰らった。

でも、水木センセイはどこか楽天的、のんきでたくましい。

 

敗戦後、ラバウルに残って土人と混じって生活しようと、真剣に考えたことがあった著者は、「土人」たちを、「『満足を知る』ことを知っている人」と尊敬していた。

この「満足を知る」=「足を知る」=「知足」、はわれらが縄文人にも通じる特性だろう。

 

ラバウルのあるニューブリテン島の隣の、ニューギニアは中央部が高地になっていて、外界との交流がほとんどない状態で独自の農耕文化を発展させてきた。16世紀以降、西、英、蘭、独、濠、日の支配を受けたが、この高地には長い間、土人以外は足を踏み入れることが出来なかった。

 「人類がたどってきた道」海部 陽介著)によると、20世紀になって白人が初めてこの高地を探検したとき、ここには100万人以上が住んでいた。それだけの人口を養うことができるほど、この地は「豊か」だったのである。他を蹂躙し虐げ、果てしなく己の欲望を膨張させることが文明的とするなら、土人の生き方はその対局に位置する。多分、長期間にわたって変わらぬ生活を続けてきたのだろう。

 

有限な地球の上で、人間の欲望を果てしなく膨張させれば、きっとどこかでパンクする。そして欲望を限りなく膨張させなければ社会が成り立たないのは、最近の景気対策でも証明済み。となると、やっぱり未来はパンクしかないか・・・。

ホモ・サピエンスが誕生してたかだか20万年。人類が、地球に影響を与えるほどの文明とやらを発展させたのは、ここ数千年間のこと。う~ん、人類の(少なくとも文明の)滅亡ってえのは、思ったよりも速く訪れるのかもしれんね。

ま、俺自身は、長くともせいぜい数十年しか生きないから、あとのことは知っちゃいないけど。