朝日新聞記者の著者は1980年夏、ポル・ポト政権崩壊1年後のカンボジアを3週間かけて取材した。当時、真偽両論あったポル・ポト政権下での大量虐殺の事実を検証するためだった。

 限られた時間、取材環境の中で、著者は身近な人々から虐殺の実態を丹念に聞き出していく。もちろんたった1人の力では全体像は捉えきれない。でも点と点をつなぎ合わせたような調査からも恐るべきジェノサイドの実態が浮かび上がってきた。

 

 この本に出ている町の名前にいくつか聞き覚えがある。過去2回のカンボジア訪問で実際に足を運んだところもある。2年前、竹橋の写真を撮ったカンポンチャムの一帯では、ポル・ポト下で少数民族のチャム族の村が全滅した。

 タイ側の国境の町アランヤプラテートには、当時カンボジア難民が流れ込んだ。逃げ出してきたカンボジアの娘をタイの兵隊が待ちかまえていてレイプした。

 こうした事実を知らないまま、この付近を旅していた自分の無知が恥ずかしい。

 

 著者が取材の感想をこう書いている。

 「総じてカンボジアの人たちの反応はきわめて素直で、ひとがよく、斜に構えたりひねったりするところがなく、厚かましくもない。悪くいえばおとなしすぎるが、良くいえば実に謙虚であり、誠実な態度・物腰であった」

 私も同じような印象を持つ。カンボジアの旅で出会った人々は、総じて実直で素朴である。海千山千のインド、ベトナム、あるいは近代化が行き渡ったタイとは、かなり異なる。

 

 例えばシェムリアップで夜間にトクトクに乗った。観光地のトクトクやタクシーといえばどこでも雲助と相場が決まっている。行き先のゲストハウスの名前を告げ「知っているか?」と確認すると、「大丈夫。分かってるから乗りなさい。2$だ」

 だけど本当は分かっていなかった。走り出しながら、途中で何度もとまり、トクトク仲間に「このゲストハウスはどこにある?知ってるか?」と繰り返し尋ねていた。何人目かでようやく分かった。分かったけど、運転手がはじめに予想した距離より遠かったらしい。「遠いから1$増やして3$にしてほしい」

 1$の上乗せなど、なんということはない。2-3$が相場であることも親しいトクトク運転手に確かめてあった。でも、乗る前にあらかじめ確認して「知っている」と答えたから、運転手の言い値で乗ったのである。途中でうろうろされて、それでなくとも腹が立っていた。おまけに料金の上乗せだと~ぉ。

 憮然とした口調で「ノー。約束以上のカネは払わん」

 

 こんなトラブルは東南アジアやアフリカを旅していれば、しょっちゅうある。こんな場合インドやベトナムならどうなるだろう?想像するに一悶着程度では済むまい。その時点で下ろされるか、目的地とは全然違う場所に連れて行かれるか、はたまた、通行料が必要だとか、ガソリンが切れたとか、いろいろな口実を設けて、カネをむしり取ろうとするだろう。

 

 ところがシェムリアップのトクトクは、私が2$を差し出すと、こちらの機嫌が悪いのを感じたのかあっさりと引き下がり、それ以上を要求してこなかった。少し気弱な笑みを浮かべてひと言「サンキュー」

 一戦交えんと身構えていた当方としては、いささか肩すかしを食らったような気分。しつこさがない、悪く言えば根性が足らん。

 

 この宗教心に厚く、ひとがよいカンボジアで、なぜあのようなナチスにも匹敵する大虐殺が起きたのか。当初は理想と正義を求めたであろう共産主義活動が、どこで大きく逸脱して行ったのか。「疑心暗鬼のうちに仲間を粛正した連合赤軍のリンチ殺人事件などとも共通する」ものが、国家規模で起きたのかもしれない。