むき出しのひとの好さとマネー崇拝 カンボジア・ベトナム

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  ベトナム、カンボジア、タイその他、東南アジアの少数民族の初歩的な知識を得べく、「入門東南アジア研究」(上智大アジア文化研)、「東南アジアの民族と歴史」(大林太良)そして「講座 世界の先住民族02 東南アジア」(林行夫ほか共著)と続けて目を通してきた。いずれも入門書・教科書といったおもむきで、もちろん関係箇所だけの拾い読み。
  
 
  「先住民族としての民族的覚醒と自己変革を成しとげたリーダーたちが求めているのは、単に異文化の共生や共存という耳に心地よいお題目を唱和することではない・・・正当な居場所を求める彼らの主張や運動は、具体的には土地回復の切実な要求となって表れている。限られた土地の権利をめぐるゼロサム・ゲームにおいて、その要求は、現在そこに権益を有する個人や、法人や、国家の利益をおびやかすものであり、既存の秩序の再編成を求めることにほかならない。共生が現状を維持したままで仲良くすることを含意するならば、彼らが求めているのは、共生ではなく、今まで存在していなかったところに、物理的、社会的、政治的な居場所を新しく確保することなのである」
  「スペインとアメリカの植民支配を受け、色白で高身長の白人を美と力の具現者とするフィリピンにおいては、縮毛と暗褐色の肌、低身長という(ピナトゥボ火山山麓に住むアエタ民族の)身体的な特徴は、おのずとマイナスの価値を体現する」(以上、「ピナトゥボ・アエタ」の項の執筆者・清水展)
  「先進国が、近代化や産業化の進展と共に払ってきたつけは決して小さくない。しかし、せめてもの救いは、後手後手にまわったとはいえそこに常に物質的な豊かさのみの独走を押しとどめようとする思想、もしくはなんらかのカウンター・カルチャーが付随して生まれてきたことであろう。一方、途上国の先住民社会や少数民族社会にしばしば見受けられるのは、前者の圧倒的独走による歪な発展だ。ところが、そうした歪さを先進国側に身を置く人間が指摘すると、傲慢だという逆批判を往々にして受ける。結局、最良の道は、失敗を最小限にとどめつつ、自らが自らの歩むべき姿に気づくことだ」(「リス=タイなどの少数民族」の項の執筆者・綾部真雄)
   

  う~ん、勉強になるなぁ・・・。少数民族に限らない、経済後進国に通底する問題を含んでいる。
   

  カンボジアのカンポンチャムでカンボジア系カナダ人の男と短い時間だったが立ち話をした。50歳前くらいの彼は、動乱期にカンボジアを逃れ、今はカナダで数学の先生をしていると言っていた。会ったときは、ちょうど里帰りしていたときだった。
  何の話題からそんな話になったのか忘れたが、その彼が現在のカンボジアを指して「カンボジア人は、マネー、マネー。ふた言目にはマネーだ」と自嘲的に嘆いた。
  その彼に対して私は「カンボジア人はフレンドリーだ。ひとがいいよ」と半ばうち消したものの、彼の言葉に思い当たるふしが、ないわけではない。
  カンボジアだけでなく、同じように貧しいベトナムもそうだが、子どもたちが集まって来たと思ったら、手を出して「マネー」とねだる。おとなも釣り銭をごまかす。値段をふっかける。いずれも「円」や「ドル」で考えればわずかな金額、ふだんは「ま、いいか」と分かっていて騙されることもしばしば。そう割り切ってしまえば、あまり腹も立たない。「おれ流自衛策」。
   

  メコン沿いのカンポンチャムには竹だけを編んで造った橋がある。人間だけでなくバイクはもちろん馬車や自動車も利用する。被写体として面白かったので、カメラのシャッターを切りながら、歩いて渡った。
  渡りきったところに、お粗末な掘っ建て小屋があった。中年のオヤジがゲートに座っていて、通行料を徴収している。ゲート前で引き返そうか、とも思ったけど、考え直してそのまま進んだ。おやじから何か話が聞けるかもしれん。
  オヤジは待ってましたとばかり「ワン・ダラー(=4000リエラ)」。歩行者の通行料としては高めだな、とは思ったが、言い値で払ってやった。話しかけてみたが、英語は全く通じない。おまけにオヤジは、私にあからさまに早く立ち去ってほしい、といった素振りをみせる。ここにいつまでも居られたら迷惑だ、とばかりそっぽを向く。仕方ないから、早々にゲートを通りすぎた。
  帰りもこの竹橋を通った。オヤジは再び「ワン・ダラー」。カネを渡したあと、あえてゲートから離れずに、次の通行人が来るのを待っていた。オヤジはあきらかにイヤな顔。間もなく若い2人の男が乗ったオートバイが来て、ゲート前で停まった。オヤジは、そわそわして、彼らになかなか料金を求めない。おれはオヤジの表情など知らんぷりしてゲートそばを離れない。根負けしたようにオヤジは若者たちに料金を告げた。
  「1人1000リエラ(=4分の1$)」
  バイクの若者は「えーっ」とのけぞった。明らかに、いつもより「高ーい」と不満たらたら。あるいはこれが正規料金なのかもしれない。ただいつも通る顔見知りには、通常は割引きしているのだろう。おれを前にして、オヤジもあまり安くはできなかったに違いない。
おれからは4倍の料金を取ったことがバレバレのオヤジ、バツの悪さをごまかすためか、急に口数が多くなった。
  「雨季には、頭の高さよりも上まで水が来る」
  「竹橋は水の下になり、水が引いたら毎回補修する(だからカネがかかる、と言いたいらしい)」
  水の跡が残る柱の汚れを示しながら、こちらが尋ねもしないのに、身振り手振りで、大慌て。
  こすい、こすっからい。でもバレバレのインチキ。どーもこのオヤジに腹を立てる気が起きなかった。
   

  戦争後の混乱がようやくおさまって、急速な経済発展を目指そうとしているカンボジア。急速な近代化が進んだ中国のあとを10年遅れで追いかけているのであろう。
  田舎に行くと、まず子ども達が寄ってくる。大人もちょっとはにかみながら「ハロー」。親しくなると「飯食っていきな」と誘ってくれる。実にひとっこいい。時には、なれなれしく感じるほど。その一方で、竹橋番人のように、けちなちょろまかしをするやつもいる。「マネー崇拝」と「素朴な人情」がぶつかり合い、共存している世界。近代化され、よそよそしい欧米や日本だってひと皮むけば結局はおんなじことなんだろうけど、カンボジアやベトナムは、その二つがむき出しの形で表れる。
  思うに、ベトナム、カンボジアの近代化の歩みは、中国よりも一段とスピードアップするだろう。マネーが独走する世界になるのか、それでも「素朴さ」を生かした社会が残るのか、これからの10年間を見たいもんである。
   

  ここまで書いて、TVのアフリカ縦断ツアー番組を見ていたら、砂漠で通りがかりのトラック運転手が、何も言わずにツアーの一行に飲み水を差し入れて立ち去る場面があった。ツアーリーダーによると、砂漠ではよくあること。朝起きると、テントの前に卵や飲み物が置いてあることがあるそうだ。日本なら、こんなことされたら、毒でも入ってるんじゃないかと、とても口にできない。
  見知らぬ旅人にまったくの無償の好意を見せる一方で、旅人を狙う盗賊団もいる。それがアフリカの現実。東南アジアとどこかダブるところがあるのではないだろうか。

 
 

物乞いだって立派な職業だ!

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 サイゴンのホテルの前。カジュアルなジャケットでびしっときめた、裕福そうな日本人の男がタクシー待ちをしながら、素手でゴルフ・スイングの真似事を繰り返していた。
 そこに小さな子どもを胸に抱えた、30歳くらいの物売り女が近寄り、何かを売りつけようとしている。宝くじか、あるいはチューインガムか? 男は「いらん、いらん」の身振り。女は方針転換、子どもを指さして「この子のために、カネをくれ」。物乞いに転じた。男は鷹揚に胸ポケットに腕をつっこみ、革財布から紙幣を数枚取り出した。
 と、その時、女の腕の中の子どもが、ついと小さな手を伸ばし、男の手から紙幣をさっとひったくった。見事な早業。
  

 物乞いは、しばしば子どもをダシに使う。その方が同情を得やすく、稼ぎがいいからだろう。専門(?)の乞食だけでなく、普通の親までが、ガイジン観光客を見たら手を出してねだってみろ、とわが子にけしかけているフシもある。
 子どもに「おねだり」の習慣を覚えさせて、この国の将来はいったいどうなるのだろう?! 最初は柄にもなく、嘆かわしい気持ちになった。でも考えてみれば、わが国だって敗戦直後は、きっとこうだったんだ。
  

 カンボジアのシアヌークビルは、ヨーロッパからのバカンス客でいっぱい。夜になると、波打ち際に並んだレストランで、ガイジンさんがビールやワイン片手にディナーを始める。そこをねらい目に、物売りや物乞いが客席を回り始める。従業員も咎め立てはしない。
 一杯機嫌のせいか、はたまた自分たちだけご馳走にありついているという罪悪感のせいか、ねだられる側もつい気前がよくなる。
 そのビーチに、夕方になるとオートバイの後ろに乗せてもらって「出勤」してくる、片足のない男がいた。松葉杖を突き、たいていは英語の小説やガイドブックを抱えて売り歩く。でも、すっかり日が落ちてあたりが暗くなると、本の販売をあきらめて、物乞いを始める。
  

 路上の物売りは、ときどき物乞いに変身する。昨年滞在した、カナダでは、大道芸と物乞いの境界線があいまいだったが、ここベトナム、カンボジアでは、物売りと物乞いの区別がはっきりしない。この松葉杖男もその1人。毎日夕方の決まった時間に現れる彼に、つい日本のサラリーマンの律儀な出勤風景を重ねてしまった。
 たしかに彼にとって、これは毎日の仕事であるに違いない。ささやかな商品のやりとりを伴うかどうかの違いだけで、物売りも物乞いも、大差はない。毎日の生活を支えるために、彼なりに精一杯働いているのであろう。
 貧しいこの国では、貧者救済の制度が十分に整えられているとは思えない。ならば自分で糊口をしのぐしかない。
 先進国だって、ボランティアでかり出された老人、子ども達が、一種脅迫的な「お願いしまーす」の連呼で、「恵まれない人々」のために通行人から寄付を集める。
 同じ他人の「善意」にすがるのでも、ベトナム、カンボジアでは自らが直接募金する。究極の自助努力、自己責任。共同募金などのような中間の事務局経費もかからないから、募金はまるまる貧者(つまりは自分)の懐に入る。簡潔明瞭、効率もいい。
 こんなことを考えるうちに、物乞いに対する、最初の嘆かわしい気持ちは失せてしまった。
  

 サイゴンの食堂で飯を食っていると、ほら、またやって来た。今度は、目の不自由な老婆だ。テーブルにやって来て、無言で手を差し出した。たまたま手元に、さっき釣り銭でもらったばかりの200ドン硬貨が1枚あったから、老婆に手渡した。
 硬貨を手に取った老婆は、よく見えない目にそれを近づけ、ためつすがめつ、しげしげと確かめた上で、こちらに硬貨を押し返して寄こし、さっさと向こうに行ってしまった。「こんな端下金、いらん」
 200ドンは日本円にしたら1円ちょっと。たしかに、あげるには小銭すぎた。老婆のプライドを傷つけたかもしれん。こっちも、ばつ悪るーっ・・・・

 

 

ベトナム、カンボジア、タイの宿、言葉、通貨、交通

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 [Guest House事情]
 前回も安宿のことを書いたが、利用したのはもっぱらゲスト・ハウス。3国にとっては、日本の安旅館みたいなもんで、日本の田舎の旅館やビジネスホテルより安くて、手軽。
 目的地に着いたらまずねぐら探し。以前紹介したひとり旅の達人、佐藤老は「最初に近くのレストランで飯を食う。そして適当な宿はないか、店の人に聞く」
 バスなどから下りると、トクトク(三輪タクシー)やバイクの雲助たちが群がってくる。彼らを利用するのもひとつの方法だが、彼らは客を紹介する見返りに宿側から紹介料をいただいているようで、どーも値段の割にはあまりいいところに連れて行かれた覚えがない。
 私の場合も、近くの店(食堂でも普通の雑貨屋でもいい)に入って、トクトクやバイクを振り切り、そこでゲスト・ハウスのありそうな方向と距離を聞く。あとはできるだけ歩き、手当たり次第にフロントに行って、値段を尋ね、部屋を見せてもらう。そうこうするうちにだいたいの相場が分かる。
  

 たいていの町に1軒や2軒のゲスト・ハウスがある。今回、1度だけ見つけられなかったことがあった。タイのチェンマイに近いランパンで、たいがいの観光客にとっては、チェンマイに行く途中に通過するだけの町である。バス・ステーションの周囲を歩いてようやく見つけたのは、1泊900バーツ(約3000円)のホテルだけ。ゲスト・ハウスなら200~300バーツ(100円=約30バーツ)。ばかばかしいから、この地での宿泊予定を急きょ変更して、その夜の寝台夜行列車に乗り、アユタヤに向かった。
  

 同じゲスト・ハウスでもサービスにかなりの違いがある。部屋掃除、ベッド・メーク、タオル交換、石鹸・シャンプー・使い捨て歯ブラシの補給が毎日あるところから、まったくないところまで千差万別。毛布・タオルケットさえない宿もあった。タイはホテルも含め使い捨て歯ブラシは置いてなかった。
 枕カバーやシーツを、もう何ヵ月間も換えてないような宿もあった。歴代利用者のアブラがこってりしみこんだシーツと毛布を前に、とても下着で寝る気にならず、やむなく服を着たまま寝た。ベッドはますます汚れる。途中で薄い長袖のトレーナーを買って(上下合わせて500円くらい)、室内着兼パジャマにした。
  

 壁や床、天井が隙間だらけで、いくら蚊取り線香を焚いても、ブヨ・蚊に悩まされたところも。当たり前のことだが、やはり見た目も古い施設には、こうした問題が多い。
 ほとんどが水だけのシャワー、お湯が出るところは少し高め。エアコンのある、なしで2~5$くらいの価格差がある。特にベトナム、カンボジアでは、エアコン付き部屋が扇風機だけの部屋の2倍近くもするのにはあきれた。
  

 [荷物は小さく]
 持っていく衣類を極力少なくするため、Tシャツと下着は毎日洗濯した。ベトナム、カンボジアのゲスト・ハウスには洗濯機、冷蔵庫、電気掃除機はない。山のような洗濯物を住み込みの女の子たちが手洗いしていた。町に洗濯屋が多く、1キロの洗濯物を1$以下で洗ってくれる。
 帽子とサンダルは必需品。サンダルは外でも使うが、軽く水洗いすれば室内用にもなる。シャワーとトイレが一緒のところが大半だから、べちゃべちゃの足元がいやならサンダルをトイレ用にすることもできて重宝。
 ふだん外を歩くときは短パン、Tシャツでも、長袖シャツ・ズボンが必要。タイ北部など夜の寒さ対策もあるが、蚊よけとしても便利。ネットカフェの机の下の暗がりには、決まって蚊がいた。バスや列車の中にもいる。現地の人たちはなんでもないようなのに、私はたちまち刺された。見ていると欧米人も悩まされていた。現地の人たちは、何か蚊を寄せ付けない体質のようなものを生得しているのだろうか?
 虫除け、蚊取り線香なども必需品だが、衣類、サンダルも含めなんでも現地で安く手に入る。あちらで購入するのも「手」である。観光客相手でない一般の市民相手のマーケットで買うのがベスト。虫除け(mosquito repellent)スプレーは値段の割には効き目が弱いし、たちまちカラになる。私の感じでは、塗布用の方が少しましなよう。
  

 今回はバカチョンのほかに一眼レフカメラと望遠レンズ、充電器、変圧器などを持って行ったため、バックパッカー並みの荷物になったが、これがなければ、大きめのサブザック1つにまとめられるほどの量だった。
  

 [通貨]
 ベトナムはドン。「Vietnamese dollar」なんて呼ぶこともある。1$は15,000~16、000ドン。サイゴンなら「円」からドンに両替が可能だが、ちまたにいっぱいある小さな両替屋はドルのみ扱う。メコンデルタの中心都市カントーでは、銀行でも「円」からの両替はしてもらえなかった。
 カンボジアはリェラ。1$=4、000リェラきっかり。ドル紙幣が住民の日常生活で恒常的に通用している。両替の必要がない。ドルで支払い、リェラで釣りをもらう。釣りがドルのこともある。
 タイはバーツ。1$は32~30バーツ。バンコクはもちろん小さな地方都市の銀行でも「円」からバーツに交換してくれた。ドルを持っていく必要はなさそう。
  

 [言葉]
 ベトナムはサイゴンなら結構英語が通じるが、地方都市では英語を解する人がぐんと少なくなる。ベトナム語は表記がアルファベットなので一応読めるけど、地名などそのまま発音しても現地の人にはなかなか通じない。行き先を告げる際などは、地図の表記をそのまま示した方が通りがいい。
 カンボジアはクメール文字。英語を解する人は少ない。看板などは英語表記も目に付く。ただし、外来語をアルファベット表記した感じで、つづりなどは本来の英語表記から考えると、でたらめなことが多い。現地の地名・固有名詞のアルファベット表記は、日本の外来語表記と同じで、必ずしも一定でない。
 タイも英語が分かる人は少ない。かつ看板、道標なども英語表記は少なくて、タイ文字だけのことが多い。多分、外来語やアルファベットの氾濫を意識的に抑えているのではないか。われらタイ文字の読めない外人旅行者は閉口する。
  

 [交通の便]
 タイは長距離の都市間はもちろん、町と町を結ぶ路線バスがきめ細かく走っていて便利、かつ安い。
 定時のダイヤで走るバスがない田舎には、個人運行のミニバスが走っている。小型トラックの荷台に、互いに向き合った座席と屋根を付けた、12,3人も乗れば満員になる乗り合い「バス」。助手席に加え、後ろのデッキにもぶら下がれば20人近くが乗れる。カンボジアなら屋根の上にまで人が鈴なりになる。満員になればすぐ発車するが、客が集まらなければ2時間以上も待ちぼうけを食らうこともある。あとは運転手の気分次第。
 ベトナム、カンボジアの場合、ほとんどが私営バスで、原則予約制(始発地で空席があれば、事前に予約しなくても乗せてくれるケースはある)。始発地以外で乗ろうとするなら、事前に予約をすることが絶対必要。日本のようにバス停で待てば、定時にバスが来て乗せてくれる、ということはまずない。
 バス代は安いけど、繁忙期には少し高めの特別料金になる。例えばカンボジアの首都プノンペンにあるキャピタル・ツアーという旅行会社が運行する長距離バスの場合、アンコールワットのあるシェムリアップまで、通常1700リェラ(4.25$)が、旧正月の前後は2500リェラ(6.25$)に跳ね上がる。運行主体によって値段が少々異なり、ホテルなどで手配すると、さらに手数料を上乗せされる。
  

 列車はかなり不便。私はタイで3度乗っただけ。鈍行は安い。カンボジアとタイとの国境の町アランヤプラテート-バンコク間が48バーツ、バスなら確か7$(約220バーツ)くらいだった。
 バンコク-チェンマイのような長距離だと、一、二等席代金や急行料金などがかさみ、バスの方が安い。特にエアコンなしの路線バスは安い。
  

 自分で運転できるなら、三カ国ともバイクが便利。都市の周囲でも車が入れないような細い道しかない住宅街や、踏み分け道で隣町と結ばれている集落がある。ベトナム、カンボジアの大都市は、すさまじい数のバイクがまさに洪水のように流れていく。いくら幹線道路が整備されても、生活道の大幅な拡幅がなされない限り、バイクは減りそうにない。立派な車を持っているサイゴンの知人も、ふだんはバイクに乗っている。

ベトナム、カンボジア、タイ15万円で2ヵ月と1週間の滞在

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 ベトナム、カンボジア、タイの旅はたやすい。
関連写真1、関連写真2、関連写真3
 まずカネの心配がない。今回は2ヵ月と1週間滞在して、かかった費用は、宿泊費を含め15万円。1日2千円程度で済んだことになる。これは3カ国内の移動費も含んでいる。
  

 これに往きの航空券が4万6千円。10日間FIXの往復航空券だったけど、復路は捨てた。旅行会社によっては、こういう使い方を禁ずるところもあるが、往復より片道の方が高い航空界の仕組みの方がおかしい! それに復路を使わないからといって誰に迷惑をかけるわけでもない。帰りはバンコクで手配して4万4千円。さらに札幌―東京間の航空券と東京での前後泊ホテル費用もろもろが、計4万円くらい。
  

 タイで出会った日本人の男は、ここ10年間ほど毎年3ヵ月間をネパールで暮らす。山が好きで、40歳代に脱サラしネパール通いを始めた。
 彼によると、最低3ヵ月間は滞在しないと「元が取れない」。それより短い滞在だと、往復の飛行機代などを計算すれば、じっと日本で生活していた方が安く済む。3ヵ月間を生活費の安いネパールで暮らすと、渡航費も含めた一切の費用が日本の生活の3ヵ月間とほぼ同じになるそうだ。
「正直なところ、2ヵ月間もネパールにいると、日本に帰りたくなる。でも、それで帰ったら、元が取れないので、あと1ヵ月間頑張っている」
 2ヵ月間で日本が恋しくなるかどうかはともかく、この物価の安い東南アジアなら、3ヵ月間も滞在すれば、日本での生活費とちょんちょんになる、という話。私の短い体験でも、そんなもんかもな、と思う。
  

 ひとは「そんなにケチケチしてまで旅行なんかしたくない」と言うかもしれない。それも結構。おおいにカネを使って、貧乏な東南アジアの経済に貢献するのも、金持ちニッポン人の義務かもしれない。
 考えてみれば、日本人や欧米人がこの地域で安く旅行を出来たり、豪遊できるのは、円やユーロ、ドルが現地通貨に比べて、格段に力が強いからだけである。もともとわれわれ個人が威張れた話じゃない。なんという不合理、労働に対する正当な対価とは言い難い、なんだかバクチかなんかでもうけた、あぶく銭のような俺のカネ(円)。彼らが1日数$の給料で、早朝から夜遅くまで住み込みで働く姿を見るたびに、内心忸怩たるものがある。
 同じ100円でも、日本ならミネラルウォーターの小瓶1本も買えないが、東南アジアなら5~6本買える、といった具合。「女の値段」なら、もっと顕著な差があるらしい。

    
 

 ともかく、こちらは貧乏(性)だから、できるだけカネをかけない旅に徹することにする。
 その貧乏旅行が、カネのかかる旅行会社の出来合いツアーなんかより、ずっーと面白い。負け惜しみかもしれないけれど。

 

 少ない費用で済む条件は、ゆっくりと時間をかけること。少々の体力と、衛生に対する鈍感さも必要だ。カタコト英語も、出来た方が旅行代理店や宿とのやりとりが楽。もっとも、相手もほとんど英語を解さないから、使う言葉も「ルーム」「ハウマッチ」程度のもの。英会話なんぞからっきしでも、なんとかなる。
  

 今回の行程(宿泊場所)は
[ベトナム] 1月11日サイゴン→14日カントー→17日サイゴン→21日カントー22日チャオドック→
[カンボジア] 23日プノンペン→2月1日シアヌークビル→7日プノンペン→8日カンポンチャム→9日プノンペン→10日シェムリアップ→20日ポイペット→
[タイ] 21日アランヤプラテート→25日バンコク→27日ピサノロー→28日スコータイ→29日チェンマイ→3月4日チェンライ→6日チェンセン→7日チェンコン→8日チェンセン→13日アユタヤ→15日バンコク→17日バンコク発

   
 

 前もって立てた計画は、1月11日にサイゴンに行くことだけで、あとは着いた所で次の行動を決めた。宿泊場所も当地に着いてから探した。そのために次の目的地には、出来るだけ午後4時前には着くようにした。山歩きと同じで、早めに目的地に着き、ねぐらを確保する。日暮れまで2時間もあれば、なんとか宿くらい見つけることができる。
 宿はもっぱらゲストハウスを利用した。たいがいの町にゲストハウスがある。サイゴンは1泊15~20$と高いが、他は3~12$。平均すると6~7$。どうしても安宿が見つからなければ、ホテルに駆け込めばいい。20~30$で立派なホテルに泊まれる。結局ホテルを利用したのは、1度だけ、18$くらいだった。

  

 

 ガイドブックは持たない。その代わり本屋で、ちゃんとした地図を買った。現地のツーリスト・インフォメーション・センターから無料の観光ガイドブックをもらったり、ゲストハウスに置いてあった日本語ガイドブックに目を通したことはあったが、こうしたガイドブック頼りで行った宿も観光地も、ガイジン観光客ばっかり、あるいは日本人ばっかりだったりして、ゲンナリ・・・
  

 宿も食堂も、現地の人たちが利用する場所が、安くて条件が比較的いい、というのが私の持論(というほどエラソーなものでもないが)。これは国内を旅行する時とおんなじだ。現地の人々が食う食堂が安くてうまい。出費を厭わない人の場合なら、話は別ですけど。こちとらには無縁。

世界遺産より、やっぱりヒトが美しい

2件のコメント

 表題のアルバムを取り急ぎアップしました。
 18日に2カ月と1週間の徘徊を終えて帰宅した。
 ベトナム、カンボジア、タイの「旅」が、時間さえあれば、どんなに簡単にできるか、カネもかからず、かつ人っこいい人々が多く、いかに魅力にあふれているか、を追って文章でもお知らせします。

ハゲに関する進化論的私論

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 ベトナム、カンボジア、タイに、たかが2ヵ月あまり滞在したくらいで、何か言うのはおこがましいけど、印象を述べさせてもらうなら、ハゲが極めて少ないのではないか? ほとんど、否、まったく見かけなかった。たまに出会ったハゲは、ヨーロッパ系。
 そこで思い至った。頭髪は防寒のためにあるのではない。強い直射日光から皮膚を守るためにあるのだ、と。
 ある人は、毛が薄いのは進化のしるし、ハゲは進化が進んだから、なんぞとお馬鹿なことを考える。ハゲが生存にどんな有利な点があるというのだ。せいぜい洗髪が楽な程度だ。欧米人といえば、進歩した人間、果ては進化の進んだ人間と考える、過去の遺物のような考え方だ。
 
 私の解釈はこうだ。人間はもともとハゲもハゲでないのもいた。可能性は両方あった(割合は知らないけれど)。
 南国の強い紫外線の下では、これを直接浴びるか、遮るかで皮膚がんになる確率に差が出ると思われる。たかだか0.1%くらいの差だったとしても、数千世代もたてば、はっきりと適者生存の有意差が生じたはずである。
 西欧など北方では、紫外線が弱いから、有意差にならなかった。
 
 そーいや、わが父方は大陸系北方モンゴロイドの傾向が強い。だからハゲ(というわけでもないけれど)。これに対し、母方は東南アジアに起源がありそうな、大きな目をしていた。わが可愛い姪っこに代表されるような顔。ハゲの遺伝子はない。
 
 と、以上のようなことを愚考していた。
 
 バンコクで、酒飲み話に、以上のような迷説を披露したら、在泰日本人から疑問が出された。
 この3国、特にベトナム、カンボジアの平均寿命は、日本よりかなり低いはずだ。ハゲが少ないのは、高齢者が少ないせいではないか?
 こいつは説得力がある。平均寿命が10年も違えば、ハゲの出現率もかなりの差が出るだろう。これらの国の寿命が延びれば、ハゲ人口も増えるはずだ。こいつは、きちんと統計的に比較検討しなくちゃ、結論が出ない。
 
 でも、今はまた、寿命差だけでは、3国にハゲがいないことを、説明できないのではないか、と考えている。直感だが。見たところ3国には若ハゲがまったくいない。欧米や日本にいるのに。わが仮説に説得力がある、と内心思っているのだが・・・

首長族は人間動物園?

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 チェンマイで大枚900バーツもはたいて、山岳少数民族見学の1日ツアーに参加した。何重もの輪(これはばね状になっていて取り外しが可能)に首を通す、奇習で有名な首長族(Long Kneck Karen)とラフー、アッハー、カレン(Long Kneck もカレン族の1グループ、ここは別グループの集落)、リースー、バーローの6集落を訪れた。
 Long Kneck Karen以外は、ちゃんとした生活基盤に値する集落だったが、Long Kneck Karenは売店の集合体みたいな広場だった。あとで、その隣接地に彼ら(彼女らの)の生活の場があると聞いた。
 最初に何か奇妙な感じを受けた。子供のころから長期間かけて首を長くする、そのカルチャーの奇妙さもあるけれど(カルチャーなんて、その文化を持たない他の民族から見れば、どれも大なり小なり奇妙なものではあるけれど)、いかにも見世物的なのだ。
 7-8歳の少女には赤い口紅と白粉で化粧をさせていた。かなりの美少女ではあるが、この子が笑いを忘れたように、無表情だった。
 俺はぶしつけを承知で、彼女らの写真を撮った。罪滅ぼしに、彼女たちから布切れを3枚ほど買った。
 
 ガイドのベンさんに、疑問をぶつけてみた。
-彼女らが首を長くするのは何のためか?
「首が長いのが彼らの間では美しいとされたから」
-昔はたしかにそうだったかもしれないけど、これだけ一般社会と交流のある今、本当は観光目的ではないか?外人観光客向けではないのか? 首を長くしていない人もいた。
「それは同じカレン族でも別のグループだから」
--なんとなく腑に落ちない。
 
 タイ、ラオス、ミャンマーの国境が接し、山岳少数民族の麻薬作りで有名な(もう過去の話かも)ゴールデントライアングルに近い、チェンライに来て、山岳少数民族博物館を訪ねた。
 その展示文の中に「Long Kneck Villageは幻」とあった。続いて
 Long Kneck Karenは近年、観光業者によってミャンマーから連れてこられた。われわれはこの『人間動物園』に反対する。彼女たちのpromiseがなくなれば、Long Kneck 女性はいなくなるはず。
 
 翌日、もう一度博物館に行き、マネジャー氏に疑問をぶつけてみた。
 
 その結果わかったことは、彼女らはミャンマーのカヤ州から、タイのチェンマイ、チェンライ、メホンソン周辺に、この数年の間に見世物になる女子供だけ連れられてきた。男は来ていない。多分、夫婦で連れてきたら余計な経費がかかるからだろう。Villageとはいっても彼女らの生活の糧は売店収入のみ。Village(あるいは業者?)は観光客から一人当たり250だか300バーツの入場料を取っている。ツアー代金はその入場料を含んでいる。
 どーりでツーアーの中には、Long Kneck 訪問の場合は、別途500バーツ申し受けます、などの但し書きがあるものがあったわけだ。
 ミャンマーのカヤ州は外人の立ち入りが難しく、実際に首を長くするカルチャーを持った人々がいるのは確かだが、その実態はよく分からない、という。
 それにしても彼女らのpromiseの内容はどうなっているのだろう。契約でも交わしているのだろうか? 彼女たちは夫の待つミャンマーの村にいつ帰ることができるのだろう? ミャンマーでの生活実態は? よほど社会から隔絶されて生きているのだろうか?
 
 なんだか疑問がますます深まってしまった。

パワフルなフランス娘

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  バンコクを早々に退散して、美人が多いと聞かされたチェンマイを目指す。昔、日本人がハーレムをつくったとかで,あわよくば俺も、なーんて、よからね夢想を抱きながら---。
 
 チェンマイのバスステーションから安宿の多い、旧市街までは2キロ余り。一緒のバスに乗ってきたフランスの娘さんと一緒に、旧市街地行きの乗り合いバスを探す。例によってトクトク(三輪タクシー)の呼び込みがうるさい。
 このフランス娘、断固、トクトクを拒否。乗り合いバスをようやく見つけたものの、座席はすでにいっぱい。なのに運転手は大きな荷物を持ったわれわれを、無理やり詰め込もうとする。
 フランス娘は断固「NEXT!」
 運転手はしつこく「乗れ。次はない」。でも、断固拒否。あとがないわけがない。
 
 彼女が持っているガイドブックを頼りに、宿探しを始める。彼女の勘違いらしく、乗り合いバスを降りた場所が早すぎたらしい。旧市街まで少々距離がある。
 「Sorry。私は地図が読めない。アタマが悪い。けど足はグッド」。暑い日差しの下、どんどん歩く。彼女に謝られる筋合いはない。こっちは彼女のガイドブックと英会話力を頼りに、勝手に付いて来ただけだから。
 小柄な体に、俺の2倍くらいありそうな、でかいリュックを背負っていた。確かにがっちりした体格。
 思い出した。スコータイのステーションで、斜めうしろのいすに座っていた娘だ。大きなリュックの下半分を、土のうなどを作る際に使う化繊袋で包んでいた。リュックを地面に置いたとき、これだと汚れない。格好なんか気にしない。
 「いつもはステーションから市街地まで歩くの。たいていは近いから。ここは遠いし、暑いわねぇ」。顔を真っ赤にしてどんどん進む。
 
 タイからスタートして、6月までラオス、カンボジア、ベトナムなどを一人で回わる。いい根性をしている。西欧の娘たちがリュックをかついで、東南アジアを長期間旅行する姿はよく目にする。でもたいがいは二人連れ。一人もたまにはいるけれど。ほんとにたくましい。
 
 彼女には目当ての安宿があった。ステーションからすでに電話してあったらしい。宿のカウンターで俺の分も交渉してくれたが、あいにくエアコン付きの高い部屋(1泊280バーツ、900円少々)しか空いていない。彼女の部屋は200バーツ。
 「高いけどどうする?オーケー?」と、こちらの懐具合まで心配してくれた。
 
 次の朝、食堂で会うと。「こんな騒々しくて慌しい都会は好きじゃない。Mae Hong Sonに行って5日間のトレッキングに参加する」と、その日のうちにチェンマイを後にした。
 
 たしかにチェンマイは近代的な観光大都市だった。旧市街地はガイジンさんであふれていた。カネをいっぱい持ったような観光客も多い。ガイジンさんと現地の女性とのカップルも目に付く。安宿の周りは欧米人相手の酒場も多く、前夜は2時ころまで騒々しかった。
 
 クソッ、タイのこんな奥地くんだりまで毛唐のツラを見に来たんじゃないわい。ちょっと悔し紛れに、独りほざいてみる。
 当初は、チェンマイで10日間ほども過ごすつもりだったけれど、俺も早々に退散すっか。
 
 で、今はタイとラオスとミャンマーの国境が接する、ゴールデントライアングルの近くまで来てしまった。
 

ひとり旅の名人と「札幌殺人事件」上下と「あすなろ物語」

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 何もないタイ国境の小さな町、アランヤプラテートに4泊もしたのには、わけがある。1泊220バーツ(1$32バーツ)のモーテルがきれいで、プールがあり、過ごしやすかったこともあるが、ここで1人の日本人と知り合った。
 仙台から2ヶ月間タイに来ている佐藤さん、69歳。海外旅行99回目のひとり旅の名人である。
 おれの部屋は平屋でエアコンなし、真昼間はひどく室温が上がり、室内は暑くてかなわん。で、午前中に散歩と昼寝を済ませ、昼ころから3時ころまでは、モーテルの屋外レストランで本を読み、アイスティなんぞを飲んで過ごした。
 2日目、昼飯を食っていたら、「少し、いいかね。話しても」と声をかけてきたのが、佐藤老。「久しぶりに日本語で話がしたい」と言って、ラオスにちょっと行っての帰りであること、金をかけないひとり旅行が好きであること、自宅にはあまりいないこと、など話がはずんだ。誘われるままに、彼のエアコンの効いた涼しい部屋(1泊350バーツ?)に移動し、ウィスキーをご馳走になった。
 さすがに海外99回目、アジア、南米、ヨーロッパ、アフリカ北部などいろんなところに行っていて、面白い話が次から次へと出てくる。
 若いころ、ソニーの下請け会社を興し、55歳で会社をたたんで以後は自由自適。おれのようなサラリーマンあがりと違って、経済的にはゆとりがありそうだが、このバックパッカー並みの貧乏旅行が気に入っているという。いろんな面でおれと趣向が似通っている。彼も気が向けば同じところに何泊もする。このモーテルは初日だったが、プールがあると聞いて「少し長居しようかな」
 それからの3日間、2人で飲みまくり。おれはいつも次の朝、6時40分発のバンコク行き列車に乗るつもりが、二日酔いで起きられず、ずるずる4泊もしてしまった。もともと予定のない旅だから、それでもいいや、という気持ちもあったけれど。
 5日目、前夜は前後不覚になるまで飲み、朝5時半に目覚めたときは、まだ酔っ払った状態だった。酔った勢いで荷物をまとめ、30分でモーテルを出発、駅に向かった。
 佐藤老には内田康夫「札幌殺人事件」上下と井上靖「あすなろ物語」をいただいた。
 「札幌殺人事件」はその夜のうちに一気読み。北海道開発予算に群がる政治家や業者、それに米、中、ソなどの秘密機関が暗闘を繰り広げるーーー。開発予算に関する構図は一応その通りだけれど、ちょっとご都合主義的なストーリーだなぁ。
 「あすなろー」は子供のころ読んだことがあるはずだけど、まったく記憶に残っていなくて、面白かった。五木寛之の「青春の門」を思い起こし、最初の1編「深い深い雪の中で」では、渡辺淳一の「阿寒に果つ」との共通点を感じた。
 「あすなろー」は一面、主人公に影響を及ぼした6人の女性の物語でもある。「阿寒に果つ」の女性主人公同様、美しく、奔放で、存在感がくっきりしている。ある意味、不良っぽくもある。なんだって男はこういった女に惹かれるのだろう。否、女も同じか? ちょっとヤクザっぽい男がもてる傾向があるような気がする。
 主人公が『ものにした』(ちょっと下品な表現だけれど)3人の女性は『純潔だった』(これは作者の表現のママ。1人についてしかそうは書いていないけど、前後の表現から3人ともそう読める)。
 ふむふむ。ひとりで3人はズルいんじゃない?

国境を越えると

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 カンボジアの国境のまちポイペットに1泊したのち、国境を越えタイに入り、アランヤプラテートに4泊した。国境という人為的な一本の線をはさんで、大きく様相を異にした。
 ゴミと土ぼこりのポイペットに対し、舗装がいきわたり、こぎれいな建物が並ぶアランヤプラテート。荷車、オートバイ、馬車、車が猛烈な土ぼこりを巻き上げて走り回るカンボジアに対し、タイ側は落ち着きがある。3人以上乗ったバイクはとんとお目にかからない。荷台や屋根の上に物や人間を山と積んだトラックやバスも見かけなくなった。
 路上マーケットは、1店あたりの品揃えに格段の差がある。ベトナム、カンボジアでは、野菜を2、3束ほど笊に入れた婆さんが、客を待っていつまでも路上に座り込んでいたりする。タイでは果物屋でも八百屋でも雑貨屋でも、20,30種類の商品が並ぶ。ハエがぶんぶん、腐敗臭の漂うカンボジアでは、たくさんの客が押し合うように狭い通路を行きかい、時にはバイクがその中に平気で乗り入れてくる。
 服装もタイはこざっぱりしている。短パン、ミニスカート、半袖シャツ、Gパンが増え、茶髪の娘も交じる。でも目がくるっとしたかわいい娘はカンボジアの方に多いんではないかしらん? 垢抜けはしてないけど。
 体格の差も大きい。カンボジアは一般に小柄だ。タイに来て、ふっくらとした人、あるいははっきりとしたデブをみるようになった。
 
 乾季の今、雨季には水没する低地が、干上がって草もはえない。ことにカンボジアのトンレサップ湖は湖面が縮まり、一面の黄土が広がっていた。ところどころに水溜りが点在し、取り残された魚が水紋を広げる。タイではその魚を狙って、サギの仲間がじっと水面をにらんでいた。カンボジアでは投網を持った男たちが、水面をにらんで立ち尽くす。
 
 ゴミと土ぼこりのカンボジア、を強調したけれど、私はカンボジアが好きだ。人っこいい、人なつっこい、親切だ。雲助タクシーなどどこにでもいる、ぼったくり屋は別として、普通の人たちは、つましくて正直だ。ガイドブックなどでは、今もこの国の危険な面を強調している(あるいはそういった側面もあるのかもしれない)けれど、私は一度も危ない目には遭遇しなかった。路上の食い物屋で買い食いをして2度ほど腹下しはしたけれど(いずれも翌日には治った)。
 
 結局のところ、俺は、カンボジアにかかわらず、貧乏人の生活が好きなのかもしれない。タイに来てからは、一眼レフのカメラの出番は無い。

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